いつも『壬生義士伝』をご愛読いただきありがとうございます。

今回の出来事について、ながやす巧は心労で体調が悪化したため、 夫になりかわり妻である私・永安福子が現在の心境を述べさせていただきます。

44年前に大阪で紛失もしくは盗まれた原稿が、 まんだらけオークションに出品されているとわかった瞬間、心臓が止まりそうになりました。 やっと見つかった!!やっと会えた!!と、涙があふれました。 原稿には1973年1月20日の日付とサインが入っています。 巧と私が結婚したばかりの頃に描いた作品です。

アシスタントを使わないで一人で描いている巧は「愛と誠」連載当時、 寝る時間もなくなってしまうほどの忙しさでした。 手伝いたくてもまったく絵が描けない私にできることは、 ワク線引きとベタ塗りと消しゴムをかける事ぐらいしかありません。 巧の睡眠時間は1日2時間だけです。 「2時間たったら起こしてね」と長椅子に横になった巧を、 どうしても2時間で起こすことができませんでした。 ハッと飛び起きた巧が時計を見て、 「3時間過ぎてる!!  どうして起こしてくれなかったの!!」 と叱られました。起こせるわけないです。 疲れ果てて死んだようになって眠る姿を見ていたら、 とても起こすことなんて出来ないです。 「締め切りに間に合わなかったら大変な事になってしまう。頼むから起こしてよ!!」 と言われて、もう心を鬼にして起こすしかありませんでした。 寝顔を見ながら泣きました。

「愛と誠」の連載は約4年続き、 昭和51年の8月に最終回を描き終えた時は体調を崩して、 頑丈だった身体が別人のように痩せていました。 そんな苦しい思いをして描いた「愛と誠」ですが、 巧は一度も弱音を吐くこともなく、グチを言うこともありませんでした。 作品を描くことに夢中なのです。 こんな生活ですから、結婚式も新婚旅行もありません。遊びにも行きません。 旅行は取材旅行のみです。 そうして生まれた作品は、巧と私の大切な子供です。 一作一作心を込めて描きあげました。 そんな大切な原稿を、自ら手離したことなど一度もありません。 歳をとった私達は、無くなったほかの原稿には、もう二度と会えないかもしれません。

巧は一人で作品を描くために時間も費用もかかります。 収入のすべてを作品づくりにかけてきたので、財産などありません。 オークションにかけられた原稿が、400万円という途方もない金額で落札されました。 私達の子供なのに手の届かないところへ行ってしまいました。 悲しくて胸がつぶれそうです。 オークションが終わったあと、巧も私も毎日落ち込んでいます。 何とかならないかと、精一杯手を尽くして下さった関係者の皆さんには、心から感謝しています。 読者の皆様のあつい応援も、とても嬉しかったです。

皆様に心よりお礼を申しあげます。

永安 福子

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