いつも『壬生義士伝』をご愛読いただき、ありがとうございます。

お陰さまで本年の初旬には「斎藤一編」も無事に完結することができ、ながやす巧は現在「大野千秋編」に鋭意、執筆に取りかかっております。機会を見て皆様に執筆の近況などをご報告差し上げたいと本人も思っていたのですが、まずは執筆に専念して少しでも早く作品をお届けしたいということで、ながやす巧のかわりに、今回は妻である私・永安福子が報告させていただきます。

皆様には以前、このホームページでもご報告いたしましたが、私どもにとって余りにも哀しい「まんだらけ事件」が昨年春に起こってから、はや一年が経ちました。 45年前に大阪で紛失したか、あるいは盗難にあったと思われる『愛と誠』のカラー原稿が「まんだらけ」のオークションに出品されて、400万円という高額で落札されてしまったという事件です。 このホームページの「ながやす巧の漫画術」でも紹介させて頂きましたが、巧は漫画家デビューから今日までずっと、アシスタントを一切使わず、独りで作品を執筆しております。漫画を描くうえで効率よい方法ではないかもしれませんが、それがながやす巧の決して曲げられない信念でもあります。ですから当然、執筆にも時間を要しますし、その分だけ費用もかかります。財産を築くこともできません。落札された400万円という金額は、とても私どもには手の届く金額ではなく、どうすることもできませんでした。

オークションに出品されてしまった原稿には1973年1月20日、つまり昭和48年の日付がありました。元号は昭和から平成、そしていま令和へと代わりましたから、かれこれ46年前に描かれた原稿です。それはまた、私が巧と結婚して間もない頃でもありました。 当時の、すさまじい執筆スケジュールに追われ、睡眠時間も生活時間もほとんど犠牲にして四六時中、原稿と格闘していた巧との思い出が、脳裏によみがえってきます。 だからこそ私たちにとって、命を削って生み出した原稿は、我が子同然だったのです。そしてこの事件は、行方不明になってしまった我が子が突然、数十年ぶりにこの世に現れ、そして再び手の届かないところへ消えてしまったという苦しみを味わう経験でもありました。何とか取り戻そうと、精一杯手を尽くして下さった関係者の皆様には、心より御礼申し上げます。また、暖かい読者の皆様の応援もまた、本当に私どもの慰めとなりました。心より感謝申し上げます。

ただ残念ながらこの事件は、予想以上のショックとストレスを巧に与えてしまったようです。事件後に突然、巧は脳卒中を発症して倒れ、一時執筆を中断せざるを得なくなりました。 幸いにしてこの発作は早期発見できたため、お医者様の素早く適切な治療と事後処置を受けられて、巧は後遺症もなく回復致しました。ことに脳卒中は早期治療が運命の分かれ目になることもありますから、万一たとえば巧と同じように突然、ろれつが回らなくなるような症状が出たら、皆様も迷わずすぐに、病院へ行くようにして下さいね。

というわけで間もなく「大野千秋編」執筆を再開できたのですが、一難去ってまた一難と申しますか、次に巧に降りかかってきたのは、加齢に伴って否が応でも直面する目の病「白内障」と、漫画家の職業病ともいえる「右手の腱鞘炎」でした。 以前から視力低下とともに、執筆にも支障がでるようになったため、眼科医の先生から勧められ、手術を受けて眼内レンズを入れたものの、残念ながら視力障害が起きて、執筆の細かい線が鮮明に見えない事態に立ち至ってしまいました。現在では原稿に目を擦りつけるようにして執筆を続けている状況です。右手の腱鞘炎も、整形外科で痛み止めの注射を打ってもらって、何とか凌いでいます。 と、こう申し上げてしまうと、巧はまるで「満身創痍」で四苦八苦、といった有様のように聞こえてしまいますが、私たちは全く、落胆してはおりません。つい最近には、話題のiPS細胞を使った画期的な目の治療法も実用化に向けて進んでいるという報に接することができ、大いに希望と期待をかけております。少なくとも巧の『壬生義士伝』執筆への意欲は、いささかも揺るいでおりません。

今回、あえて読者の皆様にこんな身内のことをお伝えしたのは、しばらくお待たせする以上は、きちんと巧の状況をご報告すべきだと思ったことがひとつ。そして、もし同じような病や状況を抱えて苦しんでおられる方がいるようならば「決して悲観することはありませんよ、うちのながやす巧だって何だかんだあっても、こうして無事に仕事を続けてますから」と、少しでも励ましになれば、と考えたからでもあります。

改めて読者の皆様にお伝え致します。 ながやす巧は『壬生義士伝』の執筆に、文字通り命を賭けています。 巧も本年で古稀・70歳となり、また同時に画業55周年を迎えることとなりました。普通であれば体力・気力が嫌がうえにも衰えざるを得ない年齢に達するなか、全身全霊をもって『壬生義士伝』に立ち向かう覚悟はいささかも揺るぎません。 このご挨拶の冒頭に『愛と誠』執筆当時のお話をしましたが、それが私と巧が結婚して間もなくのこと、そして私がながやす巧と出会ったのは、さらに遡って彼が16歳、私が18歳のことでした。 出会ったその瞬間に、私は彼が「未来の輝きを予感させる宝石の原石」のように、ワクワクさせてくれる何かを持っている、と直感的に感じました。この人は、この先どんな作家に育って行くのだろう、と。 私たちも世の中の移り変わりとともに齢を重ねてきましたが、いま思うと、ながやす巧は16歳の少年だったあの頃と何ひとつ、全く変わっていません。漫画を描くことが大好きで、純粋で、真っ直ぐで、愚直とも言えるほど正直で真面目な性格の努力家です。週刊誌連載をしていたときも、どれほど疲れ切っていようと締め切りを守らなかったことは一度もありません。どんな約束も、必ず守ります。私はそういう巧の誠実な人柄が愛しくて、誇りに思います。 だからこそ私たちは共に感動し、笑い、涙を流し、そして時にはケンカもして、今日に至りました。

繰り返してしまいますが、そんな画業55年間ものあいだ、ながやす巧に力を与えて下さったのは、皆様の温かい励ましと応援でもありました。本当に心より御礼申し上げます。 これからしばらく、読者の皆様をお待たせするのは本当に心苦しいのですが、どうかこのような事情をお汲み取りいただき、もう少々、ながやす巧にお時間を頂戴できれば、と思っております。 なにとぞ、今後とも『壬生義士伝』をよろしくお願い申し上げます。

令和元年 初夏
永安 福子

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