壬生義士伝異聞

第4回
万能!? 石田散薬

新選組のメンバーたちが、おおよそ格式の高い武家出身者でなかったことは当然ですが…なにせ「組」の発足からして、京へ上る将軍家茂の護衛に旗本御家人連中が頼りにならぬからと、急遽かき集められた「浪士」たちの集まりだったのですから…中には脱藩浪士から部屋住みの次男坊三男坊(要するに家を継げない、俗に言う「穀潰し」)、さらには困窮した下級武士から「御家人株」を買い取って成り上がった「にわか武士」出身者まで、出自もさまざまでした。
近藤勇の項でも触れましたが、局長からして多摩の百姓出身だったし、その伝でいけば彼の片腕、副長の土方歳三も多摩郡石田村(現在の東京都日野市)の豪農出身だったわけです。
新選組の隊規が峻烈過酷であったことは有名ですが、逆に成り上がりの「ニワカ武士」であったという出自が、彼らを武士以上に武士であろうと奮起させた原動力だったのかもしれません。

本編カット
道場で売りまくって大儲け?

さて、そんな土方歳三の実家が現代でいう薬局で、「石田散薬」という薬を製造していたことは、知る人ぞ知るマメ知識です。
原料は多摩川の土手に自生している牛革草(ギュウカクソウ)で、必ず土用丑の日(7月20日から8月7日あたり)に収穫したものを使用すること。これを乾燥させ、日本酒と共に煮詰めて再び乾燥させ、粉末にすれば完成です。 効能的には骨折や打ち身、筋肉痛などに効果があるとされていましたが、決して湿布のような外用薬ではなく、あくまで煎じて飲む「飲み薬」。熱燗の日本酒に混ぜて服用せよ、という特異なものでした…酒の苦手な下戸の人はどうすればよかったのかは不明です。
若かりし頃、実家でブラブラしていた(今なら確実に「ニート」扱いされていたでしょうね)歳三は、この石田散薬を担いで行商していたらしい、という話も残されています。もっとも歳三は同時期、試衛館道場で剣術修行にも明け暮れていましたから、怪我の絶えない道場生たちは格好のお得意さんだったはずです。残念ながら、ここで彼が薬を売りまくってひと儲けした、といった逸話は伝わっていません。
驚いたことにこの石田散薬、実は薬事法が改正される昭和23年(1948年)まで売られていたそうです。
効能に関しては謎ですが、現在伝わっている石田散薬の成分に関しては、フラボノイドが大量に含まれていたとのこと。フラボノイドといえば緑茶やワインなどにも含まれ、一時期は健康成分として話題になったアレです。打ち身や捻挫に効能があったかどうかはともかく、身体にいいお薬だったことは間違いなさそうですね。 では次回は冒頭でもちょっと触れた、新選組の「鉄の掟」局中法度についてお話しましょう。

→次回
【バイトしたら切腹!】に続く
イラストカット
2022.04
『壬生義士伝』執筆状況

「居酒屋『角屋』の親父2」
執筆完了 現在鋭意編集作業中

配信開始は 6月3日(金曜日)より!

戻る TOP