壬生義士伝とは

本年3月、『壬生義士伝』第 7 巻発売をもって、いよいよ第三章「池田七三郎編」 が完結。しかし実は、本サイトで引き続き第四章「斎藤一編」へと、このまま一気に連載継続…とはいかない事情があるのです。
前回、「ながやす巧流」の「アシスタント不在で一気通貫術」つまり、一章分約500ページをたった一人で一気に描くプロセスなどについてお話しましたが、ここでちょっと時間を戻して、そもそも『壬生義士伝』執筆に当たって、ながやす先生が行った準備作業についてお話しましょう。

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第2回
準備2年、資料写真3千枚超!

ここだけの話ですが、もともとながやす先生は幕末はもとより歴史の知識がほとんどなく、興味もなかったために、本格時代劇を描くつもりは全くなかったそうです。
ところが1999年、浅田次郎原作『鉄道員(ぽっぽや)』の漫画化がきっかけで、それに続く浅田原作の作品を描いてほしいとの依頼があり、浅田先生の小説を片っぱしから読むうちに、ながやす先生は『壬生義士伝』に行き着きました。
夢中になって『壬生義士伝』を読み進めるうちに、「どうしてもこの素晴らしい物語を自分の手で漫画化したい!! この感動を多くの漫画ファンに伝えたい!!」という気持ちが抑えられなくなり、すぐさま浅田次郎先生に漫画化の許可を頂いたのだとか。
さて願いが叶って「さあやるぞ!!」と意気込んだものの、時代考証などの知識はゼロからのスタート。その準備は想像を絶する大変なものだったそうです。

まず『壬生義士伝』を漫画化する企画が決まった時点で、ながやす先生は資料集めと取材旅行を並行して開始。ここまでは通常の漫画連載と同じ、当り前のプロセスなのですが、準備作業に合わせて2年以上を費やしたというのは、ぜんぜん当り前ではありません! ここで漫画製作の裏舞台、ながやす先生の「執筆に入る前の準備」の膨大かつ緻密極まりない作業をご紹介します。

1. 取材
最初に訪れたのは物語の舞台である京都、それから夏の盛岡。浅田先生も同行して頂いて各地を探訪、写真ほか資料収集、スケッチなどを行いました。京都と大阪へはもう一度取材したのち、さらに冬の盛岡へ。足先から膝まで凍りつく感覚を味わい、吉村貫一郎たちが生活した環境の厳しさを、身をもって体験されたそうです。

盛岡取材写真 夏の盛岡取材では、原作者の浅田次郎先生も同行。各地を車で走り回りながら、ながやす先生に吉村貫一郎の育った原風景を詳細に解説頂いたとか。

2. 設定画の作成
本編小説を熟読し、キャラクター設定や舞台設定など、登場するシークエンス別にリストアップし、準備しました。当時の担当編集さんにも資料集めをお願いし、また取材旅行では3500枚を超える写真を撮ったとか。
取材旅行と並行して参考になりそうな本、ビデオなどの映像資料などを集め、最終的に300枚ほどの設定画を完成させるまでの作業だけで2年を費やしています。

設定画1 設定画2

しかしながら、そもそもスタッフへ伝える必要もないのに(アシスタントは使わないのが「ながやす流」だし)、ここまで綿密な設定資料を準備するのはなぜなのでしょう?
もともと、知らない時代を描くためには想像だけでは無理。まして時代劇となると、現存しない風景を描かなければならないわけです。だからこそ、古い書物に載っている写真や、歴史博物館などで資料を集め、当時の風景や建物、コスチュームなどを描き起こし、設定画にして起こす意味が出てくるわけです。
たとえば舞台となった現在の街並みを写真に撮っておいても、それを先生自身が起こした設定画というフィルターを通せば、舞台となった時代の風景に変わる…というわけですね。

こうして起こされた膨大な分量の人物&背景設定資料ですが、これでも最初にスケッチした量の1/3程度だというのだから、どれだけ準備に期間をかけたか想像できます。
…ただ、それでも先生いわく「まだ不足している資料がいくつもある!」とのこと。ながやす流コダワリには、終わりがありません。
では次回は、いよいよ開始した漫画執筆「最初の作業」について、まず通常の作家さんが行わない「ながやす巧流」独自のプロセスをご紹介しましょう。

→次回
「写経と字コンテ」に続く
イラストカット
2017.10
『壬生義士伝』執筆状況

第8巻&第9巻「斎藤一編」
人物のペン入れ終了、
現在背景の描き込みを
鋭意作業中

掲載予定は2018年初旬!
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