壬生義士伝とは

2017年3月『壬生義士伝』第7巻発売をもって、いよいよ第三章「池田七三郎編」が完結。
しかし実は、本サイトで引き続き第四章「斎藤一編」へと、このまま一気に連載継続…とはいかない事情があるのです。
前回までは、ながやす先生の漫画術…独自の「一章一気描き」プロセスから、独自に編み出したテクニックに至るまで、秘密を大公開してきました。
そして今回からは、ながやす巧先生と原作者浅田次郎先生との運命的な出会い、そして『壬生義士伝』連載に至るまでの秘話、打ち明け話のあれこれをお届けすることにしましょう。

メインカット

第9回
すべては新聞広告から始まった

ながやす先生と『壬生義士伝』の出会い…というよりそれ以前に、原作者の浅田次郎先生との出会いは、ある新聞に掲載されていた新聞広告でした。
平成9年4月のある日、なぜか目にした浅田次郎先生の単行本『鉄道員(ぽっぽや)』の発売告知の広告記事に目を止めたながやす先生は、浅田先生のポートレートと「ぽっぽや」というタイトルを目にした途端に
「これ買ってきて、読みたいから」
と、奥様におっしゃったのだとか。
『鉄道員』といえば、浅田次郎先生の直木賞受賞作でもあり、また平成11年には高倉健主演で映画化され大ヒットした、あの傑作(発売時は短編集として刊行)です。

本編カット

もちろんそれ以前に、ながやす先生と浅田次郎先生の接点は何もなく、なぜ突然そんな気になったのかは、まさしく「何となくピン! と来た」としか言いようがない出会いだったようです。
タイトルもさることながら、ながやす先生が浅田次郎先生のポートレートに魅かれたのは、浅田先生の風貌が「文豪」そのものだったから。一目でながやす先生は「この人だったら絶対、面白いものを書いている!」と確信したそうです。
ながやす先生がこんな事を口にするのは滅多にないことです。ひょっとしたら、ながやす先生と浅田先生は、はるか昔に同じ橋の上で立っていたかもしれない、一緒に小さな小舟に乗っていたかもしれない…そんなイメージが先生の脳裏に浮かんだのだとか。時空を超えた出会いを感じたのか、ともあれ不思議としか言いようがありませんね。

すぐ書店に飛び込んだものの、新聞に掲載されていた広告は前宣伝だったので「その本はまだ発売してません」。結局『鉄道員』は、一週間ほど待たされてようやくながやす先生の手許に。おそらく果てしなく長い一週間だったことでしょう。
さて、ようやく『鉄道員』を手に入れた先生は、すぐ寝室へ直行! もちろん寝るためではなく籠るためです。…なぜ寝室に籠るのかというと、ながやす先生は近くに誰かいると読書に(読書に限りませんが)没頭できなくなるからだとか。 で、ようやく読み終えて寝室から出てきた先生が一言。

「これ、描けないかな?」

すべての始まりは、ここからでした。
ちなみに『鉄道員』が直木賞を受賞するのは、この年の秋のことです。

すぐ、当時担当していた出版社の編集者さんに話をすると「だったら、うちの社の浅田番の文芸担当者に相談してみるから」と、おっしゃって下さったとか。
で、話はその文芸担当者さんからすぐ浅田次郎先生へと伝わって
「『愛と誠』を描いた漫画家のながやす巧さんって、判る?」
「うん、知ってる」
「その人が『鉄道員』を漫画で描きたいと言ってるんだけど」
と話したら
「へえーそうなの? いいよ」
と、あっさり決まったのです。
こうしてながやす巧先生と、浅田次郎先生の長い長いお付き合いは開始されたのでした。

ちなみに、この『鉄道員』の漫画化企画は(当然といえば当然ですが)ながやす巧先生からのオファーが第一号だったそうです。後から、小説を出版した社などからも漫画化の企画が持ち上がったそうですが、いずれも浅田先生の
「ダメ! もうながやす巧さんに許可を出してあるから」
と、却下されたのだとか。
これはもう、早い者勝ちだから仕方ありませんね。だってながやす先生は、小説出版の告知を見た途端にピン! と来てたのですから。

さて次回は引き続き『鉄道員』前代未聞の一挙掲載から『壬生義士伝』へと続く…産みの苦しみにまつわる秘話を、お話しましょう。

→次回
「壬生への長い道」に続く
イラストカット
2018.2
『壬生義士伝』執筆状況

第8巻&第9巻「斎藤一編」
人物のペン入れ終了、
現在背景の描き込みを
鋭意作業中

掲載予定は本年春!
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