巧の部屋 ながやす巧の漫画術

第10回
壬生への長い道 ラブ・レター編

前回から、ながやす先生と原作者浅田次郎先生との出会い、そして『壬生義士伝』へとつながる秘話・打ち明け話がスタートしました。浅田先生の短編集『鉄道員(ぽっぽや)』の広告記事を偶然見た、ながやす先生のヒラメキから始まったお二人の出会い…今回はその続きです。

浅田次郎先生の短編集『鉄道員』を一読し、一気に魅せられたながやす先生の
「これ、描けないかな?」
という一言で始まったお二人の縁は、文芸担当さんを通じてオファーした際の、浅田先生のお返事
「へえーそうなの? いいよ」
という…これまた単純明快な一言であっというまに実現しました。
ちなみに当時、浅田番の文芸担当さんに対して、浅田先生は「ながやすさんなら、僕の作品のどれでも許可していいですよ」とまでおっしゃって下さったとか。『愛と誠』などで浅田先生もながやす先生のことを御存じだったのも大きかったのでしょうが、普通はいきなり「漫画化したい!」とオファーされて、ここまで言って下さる原作者の方は、ちょっと珍しいですね。
ひょっとすると、浅田先生の方もお話を持ちこまれたとき、すでに何かのインスピレーションを感じておられたのかもしれません…勝手な推測ですけど。

本編カット

ところで、最初に漫画化された浅田作品は(『鉄道員(ぽっぽや)』ではなく)同じ短編集に収録されていた別の短編『ラブ・レター』という作品でした。実は、ながやす先生がこの短編集を読んだとき、一番泣いてしまったのがこの作品だったから、なのですが。
結局これが計百ページほどの分量となり、週刊ヤングマガジンに3回に分けて掲載されたのが1998年のことです。
掲載に先だって、作品の刷り出し(製本される前の見本)をご覧になった浅田先生は
「凄いねえ、素晴らしいね。びっくりしたよ!!」 と、文芸担当さんを事務所に呼んで褒めて下さったとか。
掲載された週刊ヤングマガジンにも、わざわざ浅田先生は「元歌を超克した素晴らしい芸術作品である」というコメントを寄せていただきました。
読者からの反響もけっこう来て…しかも、週刊ヤングマガジン読者層より、いささか高めの方々からの反響が大きかったようですが…編集部には「ながやす巧って書いてあったので驚いた。もうボクの年齢の読むような雑誌じゃないと思ってたから、うっかり見逃すところだった!」というファンからの電話までかかってきたそうです。

で、この短編掲載に好評を得て、いよいよ満を持して浅田次郎先生作品の漫画化に取り組んだ第2弾が、今はもう伝説となった作品『鉄道員(ぽっぽや)』だったのですが…ここでちょっと、掲載にまつわるエピソードがあるのです、が…。
う〜ん、少々長くなりそうなので、この先はまた次回に引き続き、お話しましょう!

次回
【壬生への長い道 鉄道員(ぽっぽや)編】に続く
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