巧の部屋 ながやす巧の漫画術

第12回
壬生への長い道 吉村に魅せられて

1998年、初めて読んだ浅田先生の小説に魅せられて『ラブ・レター』『鉄道員(ぽっぽや)』と立て続けに漫画化を実現したながやす先生。大好評を博した後、いよいよ次なる原作を求めて『壬生義士伝』を手にとったのですが…。
読み始めた第一印象はなんと…今回は、その続きです。

短編2本の漫画化に引き続き、次なる原作を求めて、浅田作品を片っ端から読み漁ったながやす先生が、最後に辿りついたのは上下二巻という時代小説『壬生義士伝』でした。読み始めたながやす先生は例によって本を手にしたまま個室に籠って…しばらくして出てきて、いきなり呟いたのは
「ダメだよこれ…」
という一言でした。ええ? いったいなぜ!?

本編カット

最初にながやす先生が原作を読み始めた時点では、先生に幕末の知識…たとえば風景や風俗、当時の人たちの髪型から所作、剣術の型に至るまで、絵を描く上で必要な知識がほとんどなかったのです。
まさに緻密な考証の宝庫! という漫画版『壬生義士伝』をすでに読んでいる私たちには信じられない話ですが、なにせご本人がそうおっしゃっているのだから、仕方ありません。
もちろん、先生にもそれまでに観た映画や漫画などの知識で、ある程度イメージは掴めるのですが、実際にこれを漫画にするとなると、そこに登場する人物や建物など、リアルかつ正確に描き出さなければなりません。
漫画家って、見たことがなくても想像で何でも描けるんじゃないの? と思われるかもしれませんが、そんなことは全くありません。漫画家だって見たことがないもの、想像できないものは描けないのです。
要するに「おぼろげなイメージが浮かんでくる」程度では太刀打ちできない。

まあそれでも、幕末を舞台にした映画や漫画などの資料を集めて参考にすれば、何とかなるのでは…と思いながら読み進めるうちに、今度はいきなり舞台が大正時代へと飛んでしまいました!
冒頭の幕末・大坂の南部藩邸から…つまり吉村貫一郎が切腹を命じられるシーンから、大正時代の東京神田へ…吉村の足跡を探し求める新聞記者が、居酒屋「角屋」を訪ねて親父と会話し、回想シーンへ入るところに飛んだあたりで、ながやす先生は頭が混乱し、ワケが判らなくなってしまったのです。
大正時代の神田神保町? 当時の居酒屋風景? 東京大正博覧会? ダット1号?…って、全然分からない! 大正時代が舞台の映画や漫画なんて観たこともない。
全く漫画化するイメージが掴めず、あまりのハードルの高さに、ながやす先生の気持がしぼんでしまったんですね。
「ダメだ、やっぱり自分に『壬生義士伝』は描けない…」
せっかくの浅田次郎先生作品なのに、と先生はすっかりしょげ込んでしまいました。

「漫画化するのは無理だとしても、最後まで読んでみたら? 絶対感動すると思うから」
翌日、しょんぼりしているながやす先生に奥様が声をかけると、ながやす先生も「うん」と頷き、再び本を片手に部屋にこもり始めました。
今度は、なかなか出てきません。食事の時間になっても。
「ご飯よ!」と奥様が声をかけると、ようやく先生は、目を赤くしながら部屋から出てきました。
「描きたい、どうしても描きたい!!」
と呟きながら。
先生の心は次第に『壬生義士伝』に惹き込まれてしまったんですね。
もちろん主人公の吉村貫一郎にも感動するけれど、彼に関わってきた人たちにも感動する。読み進めるうち、各章ごとに泣いて泣いて…結局、目は真っ赤に腫れてしまった。
この作品を冷静に描けるかな? と先生が口にしてしまうくらいに。

まだ漫画版『壬生義士伝』がそこまで進んでいないのに、ここで言ってしまうのは少々気が引けるのですが、ながやす先生がついに、涙で読み進めなくなったシーンをひとつ、ご紹介しましょう。
それは吉村貫一郎の息子、嘉一郎が語った母への最後の詞です。
──自分は父上様、母上様の子に生まれるのであれば、十七年の生涯でいい、いや七たび、十七で死にたい──
浅田次郎先生の原作をお読みになっていない方もいらっしゃるでしょうから、それが一体どんな状況で、どんな思いで語られたのか…、詳しい解説は控えます。
いつか(そんなに遠くない将来です!)このシーンが、ながやす先生の手によって、どんな姿で漫画として私たちが目にするか、楽しみに待ちましょう。

…と、いうわけで、浅田次郎&ながやす巧コンビによる次回作は決まりました。
もちろん講談社サイドも異論はなく、浅田番の編集者さんから次回作のタイトルを告げられた浅田先生は
「え? 今度は何?」
『壬生義士伝』
「うお〜〜!!」
と、叫ばれたとか。

次回
【壬生への長い道 時間の長い壁】に続く
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