壬生義士伝異聞

第5回
バイトしたら切腹!

武士は何か不祥事をしでかしたら、切腹で責任を取るのが掟!
実際『壬生義士伝』本編でも、不行状をしでかした隊士が切腹させられるシーンが描かれています。第1巻(1章「竹中正助編」)では語り部の竹中正助…のち大正時代には居酒屋の親父になってますが…自身が、隊士切腹の介錯役を勤めさせられていますが、その理由は「町屋の女に手を出したこと」! なのです。
冗談じゃない、少しばかり都の町娘にちょっかいを出したくらいで腹を切らされてはたまらない! なんて隊士たちの悲鳴が聞こえてきそうですが、これが新選組「局中法度」鉄の掟だったわけです。

本編カット
短刀の代わりに「扇子」で切腹?

けど、そんなのは当たり前。いやしくも「武士」と名乗る以上みんな、ここまで苛烈な掟のもとに生きていたのだ!…なんてイメージがつい最近まで、江戸時代のサムライには残っていたのですが、実はけっこうこれが誤解だったりするワケです。
たしかに戦国末期あたりだと、たとえば主君が逝去すると「追い腹」つまり殉死で後を追う、といった伝統さえあったくらい「腹を切る」ことが当然のような風習として残っていたようですが、これが江戸中期以降、太平の世になると切腹沙汰は激減!
まあ、平和になれば血を見る機会が減るのは自然の成り行きなのですが、実際に切腹の作法すら曖昧となった挙句、巷には切腹専用のマニュアルさえ登場するといった始末でしたから。
さらに時代が下ると、俗に「扇子腹」という言葉まで生まれてしまいます。
つまり切腹の場に用意された三方の上には、短刀ではなく扇子が置かれていたわけです。切腹人がこれに手を伸ばした瞬間、介錯人が太刀を振り下ろす…要するに実質的には斬首と変わらない作法です。実際問題、江戸時代も三百年近く続くと、自分の腹をバッサリ斬る覚悟のある武士がほとんど、いなくなってしまった…ということでしょうね。

硬骨漢たち、大復活!

…だったのだけど、時代がいよいよ幕末に入ると事情は一変!
黒船来航と共に勤皇の志士は暴れまくり、対する佐幕側のエース・新選組が大活躍する時代を迎えると、硬骨漢の武士たちも一挙に復活を遂げたわけです。
当然、新選組内部の規律維持も苛烈になります。有名な「局中法度」五カ条では、これに違反した隊士は弁解無用で切腹! させられたようです。
ただ、その法度の内容がこれまた厳しくて!
まず「武士らしからぬ行動」を取ったら切腹! 新選組を勝手に脱退したら切腹。私事でケンカしても切腹、外で不行状を仕出かしても切腹! 勝手に金策しバイトに手を染めても切腹! と何から何まで切腹オンパレードです。冒頭に紹介した隊士切腹のエピソードの場合は第4項「外で不行状を働いた(町娘にちょっかいを出した)」から切腹、となったわけですね。

ちなみに第一項の「武士らしからぬ行動を取るな(士道に背くまじきこと)」というのは、たとえば戦いの場で臆病な行動を取ることなどがそれに当たります。たとえば斬り合いの場で敵に背を向けて逃走なんかしたら一発レッドカード! 人生から退場…なわけです。

本編カット

本編第8巻(4章「斎藤一編」)では、市中巡察(俗に言う「御用改め」です)で、不逞浪士たちのアジト(?)に最初に飛び込んだ新米隊士がビビって固まってしまい、小便を漏らしたことで切腹! となるわけですが、さらに切腹の場で介錯人に指名された副長助勤(谷三十郎)まで(デタラメな介錯作法を斎藤一から吹き込まれ、それを素直に信じたばかりに)切腹人の首を落とし損ねるという無様なシーンを見せつけてしまい、あやうく「士道不覚悟で自分も成敗」されるところだった…というエピソードが描かれています。
たしかに隊士たちへの見せしめの意味もあったのだろうけれど、これだけ荒くれ者の浪人連中を抱えた新選組が、規律を維持するには仕方なかったのでしょう。結局、幕末新選組は(竹中平助いわく)「斬り死にするより切腹の方が多い」という、まさしくハラキリ武士のオンパレードとなったのでした。

さて次回は、この鉄の掟を誇る新選組の敵(であるはずの?)「勤皇の志士」たちにまつわるお話をちょっと差し上げましょう。

→次回
【勤皇のサバク?】に続く
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