壬生義士伝異聞

第9回
吉村貫一郎の「スパイ大作戦」!?

『壬生義士伝』本編では語られていませんし、意外と知られてもいないのですが新選組の面々は、幕府による慶応元年(1865年)の長州征伐(第二次)にも参加しています。
…と言っても、戦で剣を交えたのではなく、あくまで交渉役として、ですが。
公式には「長州訊問使」として下向した幕府の大目付・永井主水正尚志の随行員という名目で、同年の10月に近藤勇や伊東甲子太郎らは広島までやってきたわけですが、実はその新選組御一行の中には、吉村貫一郎の名もあったのです。
え〜? なんで剣術の指南役だった吉村が随行員に加わったの? と思うかもしれませんが、彼は南部時代には藩校の学問指南役を務めたほど、文武両道の士であったことを思い出して下さい。

本編カット
追い返されても手ぶらでは帰れない!

近藤らに命じられた本当の役割は、一言でいえばスパイ。あわよくば「公式使節として」長州勢の本拠地・萩まで行き、来る第二次長州征伐に備えて、敵情を探ってこい、というものでした。
そもそもこれよりわずか二年前に「池田屋事件」で、集会中の座敷へなだれ込んだ挙句、さんざん長州藩士を斬り殺した張本人たちが堂々と乗り込んできたのですから、長州側の抵抗もすさまじかったのは想像に難くありません。実際に近藤たちは広島で、政務役ほか長州側の重鎮に接触しようと試みますがことごとく拒絶され、手ぶらで広島から京へ引き上げる羽目になります。当然といえば当然の結末ですね。

それでも同年12月に、会津藩庁へ提出した報告書には、長州側の戦意や戦力分析など、新選組はかなり詳細で正確な報告を上げています。また幕府側(寄せ集め連合軍)の士気がかなり低下していることを指摘しつつ、長州側が恭順の意を示しているのなら、寛大な処置をするのが上策だ(だって、ぶっちゃけ言って、いざ激突したら、勝ち目が薄いし…)と指摘したあたりは、さすが実戦で鍛えた眼力は伊達ではない…というべきでしょう。

本編カット
諜報部員・吉村貫一郎の隠密行動は?

ちなみに同行していた吉村貫一郎が、この広島「スパイ随行」でどんな役割を果たしたのかは(当然というか)残念ながら定かではありません。
ただ、どうも吉村だけは近藤たちが帰京した慶応元年11月以降も広島にとどまり、情報収集活動を継続していたフシがあります。
というのは、翌年に第二次長州征伐が勃発し、幕府側が大敗した記録などに、現地で接触した「永井主水正附属物見」つまり幕府側の諜報部員として、新選組隊士・吉村貫一郎の名前があるのです。
まあ、考えてみれば、武骨一点張りの近藤局長に比べたら、物腰も穏やかで緻密な性格の吉村貫一郎は、敵地単独潜入のうえ情報収集にはうってつけだったかも知れません。
そういえば本編中でも、彼は新米隊士たちに(たとえば市中見廻りにすぐ役立つ)洛中の地理案内を教授してました。地理感覚に優れているのも、スパイとしては必須の才能ですね。

冒頭で「本編では語られていない」などと言ってしまいましたが、よく読むと「池田七三郎編(第5巻)」でも、実は吉村貫一郎が情報収集活動をこなしているシーンはきっちり描写されているのです。
新米隊士の池田七三郎が江戸時代、通っていた道場の先輩ということで、新選組とは仇敵の間柄になってしまった御陵衛士の宿舎を訪ねたときに…まあ本人はいたって呑気なものだったのでしょうが、これって、かなりヤバい橋を渡ってたんです…帰途で「偶然」非番の吉村貫一郎と遭遇しています。
もちろんこれは偶然なんかじゃなく、おそらく土方あたりの指令を受けて、敵方・御陵衛士と接触した新米隊士を探っていたのは間違いないでしょう。外柔内剛、見た目は優しそうでも、硬い芯はキッチリ通っている…まさしく諜報部員にもうってつけの人材だったのですね、吉村貫一郎は。

では次回は「ちょっと信じられないかもしれないけど(無理に信じなくてもいいよ)」つながりで、幕末最大のミステリーである坂本龍馬暗殺事件と新選組にまつわるエピソードをご紹介しましょう。

→次回
【龍馬暗殺、下手人は近藤勇!?】に続く
イラストカット
2022.04
『壬生義士伝』執筆状況

「居酒屋『角屋』の親父2」
執筆完了 現在鋭意編集作業中

配信開始は 6月3日(金曜日)より!

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