壬生義士伝異聞

昨年1月、『壬生義士伝』は第四章「斎藤一編」完結! しかし実は、本サイトで引き続き第五章「大野千秋編」へと、このまま一気に連載再開できない事情があるのです。
以前に本サイトのコラム「ながやす流漫画術」でもお伝えしましたが、『壬生義士伝』をはじめ、ながやす巧先生の手により生み出される迫真の画稿の数々は、先生独自の漫画術で生み出され、アシスタントを使わない執筆手法により、いささか時間を頂く必要があります。
現在の執筆状況や今後のサイトアップ予定等の情報も本サイトで随時お伝えしますが、ついでにちょっと幕間を利用して『壬生義士伝』の世界にまつわる、少し変わった史実伝聞、不思議なエピソード(!?)などなど、お伝えすることにしましょう。
これをチェックすれば『壬生義士伝』は10倍面白くなる! かどうかは、保証できませんけど…。

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第13回
がんばろう沖田君…の恋バナ!

と、いうワケで沖田総司君ネタも3回目です。
本コーナーでは、新選組三巨頭(?)の近藤さんや土方さんだって1回ずつしか扱ってないのに沖田君だけ3回も引っ張ってしまったのは、かなりエコヒイキなのだけど…まあ、彼が三人の中では一番人気キャラだというのは事実だろうし…何より沖田君が一番ミステリアスというか、異聞やら伝説が多いキャラだから、という事情もあるのです。
前回「沖田君と黒猫」では、彼が亡くなる間際の伝説を取り上げましたが、沖田家親族の方々の証言によれば、沖田総司という人物は自分の死が間際に迫っているのを自覚しつつも、決して取り乱したり未練がましい態度を取らなかったといいます。
自分自身の運命に対しても、どこか透明感というか距離感を持って接するようなところがあり、それが「天才的な剣豪」という…一種相反するイメージともダブって、何とも飄々とした不思議な魅力を醸し出しているのでしょう。

本編カット

ところが、ここでそんなクールな一面とは真逆の、かなり人間っぽいというか俗っぽい、沖田君の「恋の伝説」いわゆる「恋バナ」が炸裂するワケです。まあ『壬生義士伝』は吉村貫一郎が主人公なので、漫画本編で語られることはないのだけど、このコーナーは『〜異聞』なので、取り上げておくことにしましょう。

関係者証言だから信じるしかない(?)秘話

実際、噂話や新選組関係者による「尾ヒレのついた」勝手な推測ではなく、本人自身の口から語られた…とされてる…証言が、たとえば子母澤寛の新選組三部作『新選組異聞』などに遺されています。証言したのは近藤勇の子孫にあたる近藤勇五郎という方ですが、沖田総司君が12か13の頃、試衛館道場に通い始めた頃から内弟子となった頃からの記憶があるようですから、かなり信頼性が高いのではないでしょうか。
で、沖田君が労咳を患い、京都から江戸へ戻って千駄ヶ谷の植木屋に匿われた時期、彼の京都時代…つまり新選組でバリバリ活躍していた頃の恋話を直接、聞かされた、と。
当時(かなり新選組も羽振りが良かったし)、他の隊士たちが祇園だの島原だのと派手に遊び歩いていた時期にも、沖田総司君だけは決してそんな遊びには手を染めなかったようです(まあ、これも本人の証言、ということですが)。

ところがそんな彼が、さる京都町医者の娘と、恋仲になってしまった! のですと。
近藤勇五郎老人の証言では、恋仲になってしまった経緯は詳しくわからないのだけど、さる筋の情報では、沖田君が池田屋騒動で負傷した折に、壬生村で手当てを受けていた医療所の係累の娘(医療助手をしていた娘で、名前を「秩」といったそうですが)と懇ろになったのだとか。
ただ、この恋の道行に大反対したのが、他ならぬ近藤勇局長!
要するに新選組隊士は、明日をも知れぬ身の上である。それが市井の娘と恋仲になるわけにはいかぬ、別れろ! と説得して手を切らせ、勇みずからの口利きで彼女を商家に嫁がせたのですとか。

まあ、無粋といえば無粋なのだけど『壬生義士伝』本編(第1巻)でも、市中の娘に手を出した挙句に切腹させられた隊士のエピソードが語られたように、この種の男女関係には相当に厳しかった新選組ですから、幹部自らが掟破りをしたのでは示しがつかない、ということだったのかもしれません。もっとも、近藤勇局長自身が、江戸にれっきとした妻を持ちながら、京都に妾を置いていたのだから、まさしく「人のフリ見て我がフリをナントカ…」という言葉がピッタリ来ると思うのだけど。

本編カット
なぜ京都に「沖田総司縁者」の墓が…

さて、この先が諸説バラバラな展開となります…つか、真相は藪の中なんですけどね。
一説では「近藤勇の口利きで商家に嫁がされた」はずの彼女(秩)は、実は慶応2年の11月に、「キョウ」という名の、沖田君の娘を出産した後、翌年の4月に病没したともいわれているのです。 え!? ってコトは、沖田総司君には実の娘が存在してたの?
…さて、この「キョウ」という娘は母の死後、子供のおらぬ酒井某という夫妻に引き取られ、大和の国は櫛羅(くじら)藩で養育された、とも伝えられています。これが事実なら、ひょっとすると現在も、沖田総司君直系の子孫がどこかに存在しているかも。

まあ、ちょっと眉唾な話が続きましたが、実は京都市下京区にある光縁寺という新選組ゆかりの寺の墓所に、「沖田氏の縁者」の墓は実在しているのです。
(この「光縁寺」については「壬生義士伝用語辞典」第8回でも取り上げました。興味のある方は、そちらも御覧くださいね)
ちなみに沖田総司君御本人の墓は東京の専称寺(港区元麻布・六本木の近く)にあります。となると、この京都にある「沖田氏縁者」というのは、いったい誰なのか…? そしてその人物を弔ったのは誰だったのか?

「沖田総司君・恋の道行とその結末」というミステリじみた展開には興味津津…なんですが、実は新選組ファン(特に婦女子)の皆様にはおおむね、あまりウケがよろしくないようです(…あ、「攻め受け」のウケ、ではないですよ!)。
やはり沖田総司君には、近藤さんや土方さん達との濃い人間関係ドラマを演じて頂く方が正しいのかも。「異聞」といえども、あまり藪をつついて蛇を出すより、素敵なロマンを盛り上げた方が正解かも知れませんね。

さて次回は「沖田君と菊一文字」つながりで、これまでもチラチラ登場した「刀剣」関連ネタの『壬生義士伝』版をお届けいたしましょう。美少年剣士は登場しないけど…。

→次回
「『銘』にまつわるエトセトラ」に続く
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2020.4
『壬生義士伝』執筆状況

「大野千秋編」
現在鋭意作業中
掲載予定は本年!
(予定)

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