壬生用語辞典

第7回
(単行本第1巻)P193〜P217

月代
月代
(さかやき)

江戸時代の男性の頭髪、といえば髷を結って「頭のてっぺんをきれいに剃りあげた」このスタイルです。一般にも「月代を剃る」と言ってましたが、なぜ頭のてっぺんを「サカヤキ」と呼ぶのかは、諸説あってはっきりしません。この時代は武家や町人など、身分によって髷の種類は違っていましたが、月代を剃る風習だけは一緒です。
元々、戦国時代あたりに一般化したのですが、要は戦で兜をかぶる際に頭頂部が蒸れて皮膚が炎症を起こすのを防ぐための対策だったとか。それだけ当時の兜は通気性が悪かったのですね。
それが江戸時代になると一般化して、学者や医者あるいは京都の公卿などの身分か、あるいは病人(とか、浪人)などの特殊な状況にある人を除いて、男性はほぼ全員、月代を剃るようになりました。
ただ逆に炎天下に月代を剃りあげた頭で歩くのはキツかったようで、本編でも竹中平助は「昼日なかに月代を焼かれながら」歩くのはたまらないので、新選組の見廻りは夜になって行った…などと打ち明けていました。

→初出 第1巻p195

天誅
天誅
(てんちゅう)

本来の意味は「天に代わって(人が)罰を与えること」。「誅」は「誅伐」つまり「殺害する」わけです。用語自体は上古代(奈良時代や平安時代)の記録から、太平記の記述にもあるくらいですから室町時代にかけても使われていたようですが、有名になったのはもちろん幕末です。
ことに文久3(1863)年、大和国(奈良県)で尊王攘夷派の集団「天誅組」が挙兵して以降、この言葉が佐幕派の大物(だけとは限りませんが)暗殺を意味するキーワードとなりました。

→初出 第1巻p197

目明し
目明し
(めあかし)

時代劇…特に「捕り物帳」もので有名な用語ですが、意外と世間で誤解されているようですので、ちょっと補足しておきましょう。
現代でいう「刑事」のようなものと考えて間違いないのですが、身分的には与力と同心というのが奉行所の「公務員(武士)」であって、目明し(江戸だと岡っ引き)は、あくまで与力たちが小遣いを与えて個人的に雇用していた非正規雇用者でした。
ちなみに目明しを専業としていた者は少なく、たいていは副業として小間物屋とか飯屋、旅籠などの片手間に働いていたようです。

→初出 第1巻p197

元勲
元勲
(げんくん)

一般的には「国政に大きな貢献をした人物」のことですが、ここでは「明治維新の際に、大きな功績があった人物」の意味です。
なので、おおよそ薩長(および肥前つまり佐賀)出身者と公家で占められていて、旧幕府出身者は(勝海舟などの例外を除き)ほとんどいません。また、坂本龍馬などの土佐出身者も(まあ彼は明治維新前に亡くなってますから当然)入っていません。
新選組関係者に至っては「逆賊」ですから真逆の扱いですね。

→初出 第1巻p198

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