壬生用語辞典

第12回
(単行本第2巻)P102〜P125

手代
手代
(てだい)

江戸時代の商家の身分制度でいえば、上から「旦那・番頭・手代・丁稚」という順番でした。「手代」は現代の係長か課長クラスに当たる役職になるでしょうか。接客担当などは、主にこの手代の仕事でした。
また当時の慣習では、丁稚(ヒラ社員)から手代までは商家に住み込みで働くのが通例で、番頭(チーフマネージャー)に昇格して初めて別宅から通勤することが許されたようです。ちなみに番頭も手代も、元はといえば幕府の地方代官所などに勤めた役人(地方役人)の役職名で、これがのちに商家の身分に流用されました。

→初出 第2巻p105

無礼討ち・切り捨て御免
無礼討ち・切り捨て御免
(ぶれいうち・きりすてごめん)

「武士が百姓・町人身分の者に体面を汚された場合、切り捨てて(要は殺害して)よい」法で、江戸幕府が定めた「武家諸法度」(最初に発布されたのは享保2年(1717年))に明記されています。
…のですが…では実際、江戸時代に武士が勝手放題、町人などを斬りまくっていたのかというと、決してそんなことはありません。ことに五代将軍綱吉あたりから俗に言う「文治政治」が幕府統制の基本になると、切り捨て御免の適用も条件がすさまじく厳しくなりました。よほどの条件と証拠でもない限り、勝手に武士が百姓町人を手討ちにすれば、これは「辻斬り」と同様の扱いを受け、斬ったほうも切腹! という処罰をうけることが多かったようです。
それこそ『壬生義士伝』本編では角屋の親父(元新選組隊士。竹中正助)が語るように、江戸時代とは武士が商人に対して「切り捨て御免」で威張っていられるような、そんな時代では決してなかったのです。

→初出 第2巻p105

擬宝珠
擬宝珠
(ぎぼし)

橋や寺社の欄干(らんかん)などに取りつけられている、タマネギにも似た飾りのことです。仏教でいう「宝珠」(お地蔵さまなどが手に持っている「宝の珠」)に似たもの、という意味で名付けられた(ギホウジュ→ギボシ)という説や、ネギボウズの臭気が魔除けになるのでネギボウシ→ギボウシ→ギボシ…となった、などという説があります。

→初出 第2巻p112

単衣
単衣
(ひとえ)

和装の基本用語なのですが、念のために解説しておくと裏地の縫い合わせがない着物は「単衣(ひとえ)」、それに対して裏地を付けたものは「袷(あわせ)」といいます。
袷の着物は10月から5月頃の寒い季節に、単衣の着物は暑い夏から初秋にかけて着るもの、というのが常識です。
吉村貫一郎が冬でも「単衣」を着ていた、と隊士たちが哂っていたのは、そういう事情によります。

→初出 第2巻p121

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