壬生用語辞典

第14回
(単行本第1巻)P152〜P176

藤堂藩
藤堂藩
(とうどうはん)

正しくは藤堂家の治める「津藩」です。現在の三重県津市にあたります。 本編にもある通り、慶応4年(1868年)正月6日、戊辰戦争における鳥羽伏見の戦いで、淀城西岸の橋本に陣取った旧幕府主力軍を、藤堂家(津藩藩兵)が突然官軍に寝返って砲撃してきたため総崩れになりました。
津藩の11代藩主・藤堂高猷(たかゆき)は公武合体論者だったらしいのですが、機を見て敏というか、この変わり身の早さはどうも、藤堂家の血筋らしいですね。そもそも初代の藤堂高虎からして「七回主を変えた」と江戸時代に揶揄された人物で、有名どころだけでも浅井長政、豊臣秀吉、徳川家康…と仕える君主は転々としています。
まあ、時代の趨勢に機敏なのが藩の気質、とも言えるのでしょうが。

→初出 第2巻p155

錦旗
錦旗
(きんき)

俗に言う「錦の御旗(にしきのみはた)」。官軍の象徴ですね。
戊辰戦争で使用されたものは、岩倉具視の部下がデザインし、薩摩藩の大久保利通が仕立てたと言われています。官軍(新政府軍)の士気高揚には大いに貢献した反面、幕府側には大変な戦意喪失を招いた旗でもあります。

→初出 第2巻p156

御老中
御老中
(ごろうじゅう)

老中(ろうじゅう)は江戸幕府に常設された最高職です。2万5000石以上の譜代大名から任用され、幕政を主導しました。
ここで大坂から、将軍・徳川慶喜と共に「とっとと江戸へ逃げ帰っちまった」老中とは姫路藩主・酒井忠惇(ただとし)のことですが一説では彼が、鳥羽伏見の戦いで朝敵にされ戦意喪失した慶喜を押しとどめ、再戦の説得を試みたとも言われています(結局、一緒に海路で大坂を後にしたわけですが)。
その責を問われ、酒井はこの翌月に老中を罷免、5月には明治新政府から蟄居謹慎…と散々な目に遭うこととなります。

→初出 第2巻p156

殿
殿
(しんがり)

戦闘で、後退する軍の最後尾を担当する隊のことです。後備え(あとぞなえ)、殿軍(でんぐん)とも言います。
当然ながら敵軍を食い止め、退却する友軍のために時間を稼ぐ役割を担いますから、最も危険な任務を担う部隊となります。見事、撤退に成功して歴史上「武門の誉れ」となったケースもありましたが、鳥羽伏見の戦いにおける新選組の「殿(しんがり)」としての立ち位置は(残酷な表現ですが)単なる捨て駒、損な役割でしかなかったのです。

→初出 第2巻p158

八軒家
八軒家
(はちけんや)

現在の大阪市中央区天満橋京町付近を指す地名です。大坂と京都を結ぶ淀川海運の要衝として栄えました。江戸時代にはここに八軒の船宿があったことから「八軒屋船着場」の名が付いたとか。本編に登場する「京屋」は、この八軒屋浜にあった三十石船の荷揚げ用の石段に面した商家だったようです。

→初出 第2巻p158

白兵戦
白兵戦
(はくへいせん)

軍事用語では刀剣などの近接戦闘用の武器を用いて行う戦闘を指します。近代戦争(本編における「淀千両松の戦い」も同様)ではこれに銃器での戦闘、格闘戦なども入ります。ちなみに「白兵」というのは翻訳語で、「白刃」を指すフランス語に由来するとか。
陸上戦闘でいえば城攻めの「攻城戦」や「籠城戦」、都市を舞台とした「市街戦」、移動しながらの「機動戦」などと区別するための用語ですね。

→初出 第2巻p170

戻る TOP