壬生用語辞典

第二章 第1話
(単行本第3巻)P001〜P049

食客
食客
(しょっかく)

江戸に出て町道場の食客になる…要するに(状況にもよりますが)、その道場の用心棒を務めることです。正式に何某かの流派で道場主に雇われる立場でもないので、本編で吉村貫一郎が呟いていたように貧乏暮らしからは脱却できなかったでしょうね。まあ、寝る場所と食うもの(三度の飯)だけには与かれたようですが。
ちなみに「食客」のそもそもの発端は、古代中国・春秋戦国時代まで遡ります。各国が群雄割拠した時代、君主が有為な人材を数多く抱える風習からあったようで…この場合、剣客(武人)だけでなく戦略家、思想家といった多種多彩な人材が、それこそ活躍の場を求めて東奔西走、流れ歩いたといいますね。

→初出 第3巻p010

無銘の数打ち
無銘の数打ち
(むめいのかずうち)

数打ち、つまり「量産品・粗製乱造の安物刀」のことです。もっとも、仮に刀身に銘があったとしても(単に製造元を刻しただけという意味で)安物刀は存在しましたが。
素材の玉鋼の鍛錬工程をはしょる、焼きや仕上げの砥ぎで手を抜く。あるいは直刃(すぐは)に鋼を焼き足して斬れ味を上げる(要は俗にいう「付け焼き刃」)など、さまざまな安物数打ちが(ことに戦乱で需要が激増した応仁の乱以降は)山ほど出回ったらしいですね。

→初出 第3巻p016

鋩子
鋩子
(ぼうし)

日本刀の刀身の先端部分のいわゆる反り返りの部位です。よく「切先(きっさき)」とも混同されますが、正確にいうと「鋩子」はこの切先についている焼刃を指す用語で、これが欠けてしまえば当然、刀の切れ味が格段に落ちます。
まして、刀を突き立てる切腹の役には、まったく立ちませんね。
ちなみに、刀の先端についた「帽子(ぼうし)」のような形状から、この名がついたともいわれています。

→初出 第3巻p017

脇差
脇差
(わきざし)

平たくいえば、武士の「予備兵装としての刀」のことですね。
俗に武士は「二本差し」の刀を備え、本刀(打ち刀)が何かの事情で使えない場合に使用するのがこの脇差でした。江戸時代の武家諸法度では、打ち刀は2尺(約60cm)以上のものを指し、脇差はそれより短いものとされました。

→初出 第3巻p017

正覚寺
正覚寺
(しょうかくじ)

現在は盛岡市の上田通り、岩手県立中央病院そばに位置する浄土宗の寺院で、吉村貫一郎の時代(江戸末期)には奥州街道の上田組丁付近、つまり足軽たちの長屋町に位置していました。
創建は寛永3年(1626年)で、現在のご本尊は阿弥陀如来(明治初頭の神仏分離令の折、廃寺となった愛宕山法輪院広福寺より移設安置)。盛岡三十三観音霊場・盛岡城下第十八番札所でもあります。

→初出 第3巻p023

盛岡八幡宮祭典
盛岡八幡宮祭典
(もりおかはちまんぐうさいてん)

本編で描かれている盛岡八幡宮の祭典(祭礼・ご神事行列)は、現在も毎年9月半ばに催されるもので、盛岡市の各町に次々と山車が行幸し、太鼓やお囃子で彩ります。また期間中には八幡宮の境内で流鏑馬も奉納されます。
ちなみにこの山車行事は宝永6年(1709年)9月15日に南部藩の街づくりが完成したことを祝って、各町が趣向を凝らした丁印(ちょうじるし=町の紋章)を掲げて三日間、城下の目抜き通りを練り歩いたのが発端だそうです。

→初出 第3巻p036

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