壬生用語辞典

第二章 第3話
(単行本第3巻)P078〜P109

尋常小学校
尋常小学校
(じんじょうしょうがっこう)

念のため解説しておきますが「尋常」小学校とは平たくいえば「普通の」小学校ということです。
明治初期に公布された「小学校令」で、江戸時代の教育施設(つまり各藩に設置された武家子弟の「藩校」や庶民のための「寺子屋」)に代わる公的初等教育機関として発足したのが、この尋常小学校です(のち昭和初期には「国民学校」と改称されました)。
桜庭弥之助が語っていた大正時代初期には就学期間は6年制で(ここまでが義務教育)、卒業後は高等小学校(2年制)、あるいは男子は中学校(旧制・5年制)、女子は高等女学校(5年制)などへ進学するものが大半でした。もっとも旧制中学への進学率は、昭和初期でもおよそ2割程度だったようです。

→初出 第3巻p089

組付同心
組付同心
(くみつきどうしん)

前章でも「吉村(貫一郎)は、もともと拙者の組付の者にござる」と蔵屋敷差配役である大野次郎右衛門が告げるシーンがありましたが、この「拙者の組付(くみつき)」は、要するに「私の組の配下」という意味です。また「同心」は幕府の下級役人のひとつで、主に奉行などの配下を指しますが、ここでは藩(南部藩)の藩士の部下…正規の藩士ではない足軽階級を指す用語として使われています。

→初出 第3巻p092

知行地
知行地
(ちぎょうち)

江戸時代、支配権を与えられた土地を原則的に「知行地」と呼びます。
各藩の領主(藩主)は将軍(幕府)から領土(知行地)を与えられ、基本的に藩士(ことに中下級藩士)はこの知行地から収穫された米を俸給として支給されました。これを「蔵米取り(くらまいとり)」と呼びました。
ただ上級武士などはこの他に、藩主から直接に知行地を与えられ、ここからの収穫をもとに徴収した収入(年貢)を「知行取(ちぎょうとり)」と呼びました。
本編でいえば吉村貫一郎の主家である「大野家」は南部(盛岡)藩では知行千石以上の家格(これを「高知家」と呼びました)に準じる四百石取りなので、知行地を有していたのでしょう。

→初出 第3巻p097

千葉道場
千葉道場
(ちばどうじょう)

数ある剣術流派の中でも、おそらくナンバーワン級の知名度を誇る流派「北辰一刀流」の総本山ともいえる道場です。その源流である「一刀流」は江戸初期に幕府が剣術指南役として召し抱えたことから隆盛を誇りましたが、江戸末期に剣客・千葉周作が一刀流各派を統合し、江戸の神田お玉ヶ池に構えたのが玄武館道場、つまりここでいう「千葉道場」です。
幕末には黒船来航と相まって時ならぬ武道の大ブームとなり、千葉道場の評判も沸騰して門人は最盛期で六千人! というから驚きです。
ちなみに吉村貫一郎は大野次郎右衛門の供侍として江戸詰めをしていた折、この千葉道場に通って北辰一刀流を修めた…と桜庭弥之助は語っていますが、この道場(玄武館)は各藩にも多数の剣士を派遣していましたから、吉村は江戸詰めになる前に南部に来た北辰一刀流の高弟と剣を交え、その奥義を会得していた可能性もあります。

→初出 第3巻p102

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