壬生用語辞典

第三章 第8話
(単行本第6巻)P003〜P026

七条油小路
七条油小路
(しちじょうあぶらのこうじ)

本編でも描かれる、新選組による伊東甲子太郎ほか御陵衛士たち惨殺事件が起きた舞台です。位置的には現在の京都駅の西北。ちょうど東と西の本願寺の間を南北に貫くメインストリートが堀川通り。すぐ東側に並行して油小路通りが走っていますが、これに東西を走る七条通りが交差するあたりが、くだんの「七条油小路」です。
この夜、伊東甲子太郎が招き寄せられた近藤勇の妾宅(場所ははっきり分かりませんが)のある醒ヶ井から七条油小路へは南へ数百メートル。伊東が鴨川の東にある御陵衛士の屯所(高台寺月真院)へ戻るのであれば、このあたりで七条通りを東に曲がるはずですから、そこへ隠れていた新選組の刺客たちは襲い掛かったのではないでしょうか。

→初出 第6巻p004

藤堂平助
藤堂平助
(とうどうへいすけ)

本編ではほとんど登場しませんが、若年ながら元々は新選組の生え抜きの剣客で、斎藤一と並び副長助勤・八番隊長として、かの有名な池田屋騒動ほか数々の事件・戦場で武功を挙げた人物です。
実は近藤勇の天然理心流(試衛館)に入門する以前には北辰一刀流・玄武館道場や伊東甲子太郎の道場にも出入りしており、北辰一刀流では目録まで十代のうちに取得していました。
新選組と袂を分かち御陵衛士として伊東に従ったのも修行時代の縁と、彼の宿願であった尊王攘夷への想いゆえの行動かと思われます。
ただ、御陵衛士の中に間諜として加わっていた斎藤一の報告により、伊東や藤堂が薩摩への接近、長州への赦免工作などを画策していたことを知った近藤局長は激怒し「御陵衛士殲滅」を厳命したことが、結局はこの油小路の惨劇につながってしまいました。
ただ藤堂は若年ながら新選組時代には隊士たちにも「魁先生」と慕われていた人物ゆえに、敵側の永倉新八らは彼を逃がそうとしたものの、結局は乱戦の中で命を落とすことになります。

→初出 第6巻p023

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