壬生用語辞典

第三章 第11話
(単行本第6巻)P075〜P098

壬生寺
壬生寺
(みぶでら)

本編でも元隊士の池田七三郎が語ったように、新選組の屯所が置かれていた壬生の八木家からすぐ隣、位置的には西側に接してしているのがこの壬生寺です。
寺の縁起は鑑真和上ゆかりの律宗寺院として西暦991年(正暦2年)建立と古く、実はこの寺の境内を一時期、訓練所としても使用するなど新選組とも縁が深い寺でもあります。
前回(3章10話)に登場した光縁寺は新選組隊士の墓所があることでも有名ですが、実はこの壬生寺にも境内東池にある中の島には「壬生塚」があり、近藤勇や芹沢鴨、池田屋騒動で亡くなった隊士など合計7名の隊士たちが合葬されています。

→初出 第6巻p082

京都勤番
京都勤番
(きょうときんばん)

平たく言えば「京都勤め(京詰め)している大名の陪臣・武士たち全般」を表す言葉ですが、ここでは「勤番」として、京都詰めの幕府役人(幕臣)など…と池田七三郎はあえて「会津や桑名(当時の一会桑政権側)の立派な」藩士に限定しています。殊に幕末のこの時期は、たとえば長州藩士などが不逞の「朝敵」扱いされたり(蛤御門の乱など)騒動を起こしたり、京童や商人たちもおなじ「大名の陪臣たる京都勤番」の立場ながら、その旗色を伺うのも大変だったことでしょう。

→初出 第6巻p083

苗字帯刀
苗字帯刀
(みょうじたいとう)

八木家の当主は、以前に壬生村で「新選組(上京当初は「浪士組」を名乗っていました)の屯所」を任される地元の名家で、当然ながら市井の百姓町人ではありませんでした。そもそも「八木」という立派な苗字も持っていましたし。
本編3章2話の用語辞典でも触れましたが、「士農工商」と呼ばれる江戸時代の身分制度も、実際は身分の上下規律が大して厳格なものではなく…たとえば武士以外にも功績のある有力百姓に苗字帯刀を許す制度がありました。これが「苗字帯刀御免」です。
さらに時代が下り幕末にかけては、武士階級の経済的困窮もあって、武士が「御家人株」を有力百姓町人に売るという制度まで一般化したのです。この場合は株を買った「元百姓町人」も、身分として正規な「武士」を名乗ることが許されるようになりました。とはいえ、やはり正式な「幕臣」に取り立てられたこの時期の新選組隊士のブランド価値は高く(?)八木家から嫁に出すには格も高い、と池田七三郎にも婿取りの白羽の矢が立った(実際は吉村貫一郎からの口入れですが)ということなのでしょう。

→初出 第6巻p089

白兵戦
白兵戦
(はくへいせん)

厳密に定義すれば「敵と接近し、刀や剣槍などの武器を交えて戦うこと」を「白兵戦」と呼びます。となると、実は戦国時代以降、戦の所作と何も変わっていないのですね。
あえて明治以降の近代戦で、刀剣での戦闘を「白兵戦」と呼ぶようになったワケは、武器(銃砲)での戦闘と剣や槍(白刃)での戦闘を区別する必要が生まれてきたため、日本陸軍がフランス軍の歩兵操典を採用したときに、フランス語の arme blanche(白刃、刃物)を戦術用語として翻訳して用いるようになった、と言われています。

→初出 第6巻p095

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