壬生用語辞典

第三章 第14話
(単行本第6巻)P146〜P169

練兵場
練兵場
(れんぺいじょう)

旧帝国陸軍の用語で、端的にいえば「兵隊の訓練施設」です。現在の陸上自衛隊では「駐屯地」もしくは「演習場」などと呼ばれています(余談ながら「駐屯地」には一時的に置かれている施設で将来的には移設可能、という含みがあります。ちなみに陸上自衛隊には恒久的な「基地」は存在しません)。戦前には東京府(東京都)にも数か所あり、稗田老人が隠居場所にしていた富ヶ谷の近辺には広大な代々木練兵場が、明治神宮に沿って敷設されていました。本編5巻p46〜47にも描かれていますが、記者が稗田老人に取材したこの時期(大正3年・1914年)8月末に日本はドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に参戦していますから、代々木練兵場から響き渡る砲音もさぞかし派手だったことでしょう。

→初出 第6巻p147

洛西壬生の郷士
洛西壬生の郷士
(らくせいみぶのごうし)

「洛西」は「京都(京師=みやこ)」の西、という意味。本編中にもたびたび出てきますが、江戸時代末期に「壬生村」は京都市中の範囲ではなく、壬生寺の西側一帯には田畑が多く残っておりました(京都市に編入されたのは大正7年・1918年)。
また八木家は元々但馬の国に祖を発し、天正年間(室町時代)に京・洛西壬生村に居を構えたのち、江戸時代には十家程の郷士(壬生住人士)と共に、村の経営や壬生狂言に携わり、代々村の行司役をも勤めていたようです。幕末に江戸より上京した浪士組を預かったのも、京都守護職や所司代と深い関わりが伺えます。

→初出 第6巻p149

芹沢先生
芹沢先生
(せりざわせんせい)

言うまでもなく近藤勇と共に壬生浪士組を立ち上げた筆頭頭取(局長)・芹沢鴨(せりざわかも)のことです。「壬生義士伝」本編には登場しませんが、新選組の歴史を語るには避けて通れない人物ですね。
様々な乱行・武勇伝で名をはせた(?)ことでも有名で、結局文久3年(1863年)9月に暗殺されますが、その場所が壬生の八木邸で、深夜酒席で泥酔したところを闇討ちされ…という顛末も有名な話です(事件は長州藩士の仕業とされましたが、史伝では壬生浪士たちによる同士討ち、というのが通説です)。
またこの事件の折、襲撃された芹沢の巻き添えを食って、八木源之丞の息子・勇之助も右足に怪我を負わされたそうです。

→初出 第6巻p153

和泉守兼定
和泉守兼定
(いずみのかみかねさだ)

元々は室町期、美濃国関(現在の岐阜県関市)の刀工・和泉守兼定の銘として有名ですが、ここでの刀は江戸時代末期、会津藩で活躍した同名の刀工(11代目で通称:之定=のさだ)、また一般に「会津兼定」として知られるものを指します。本編では新選組の後見役の会津公・松平容保から新選組副長である土方歳三が拝領した一振りとして有名です。ちなみに土方は、この和泉守兼定を数振り、所持したとも伝えられています。

→初出 第6巻p160

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