壬生用語辞典

第三章 第15話
(単行本第6巻)P170〜P192

二本差し
二本差し
(にほんざし)

時代劇ではおなじみの用語ですが「二本差し」といえば要は「武士」を指す符丁です。
なぜ「二本」かといえば、武士は腰に打刀(うちがたな)と脇差(わきざし)を差しているからです。ちなみに打刀と脇差の違いは刀身サイズの違いで、打刀が二尺(およそ60センチ)以上なのに対し、脇差は一尺以上二尺未満(30〜60センチまで)とされています。
ちなみに「腰に二本の刀を差すのが」武士の特権であるのに対して、江戸期以降は町人身分であっても、脇差一本を腰に差すことはある程度許されていました(さらに婦女子であっても、たとえば旅行などの護身用に脇差を所持することがあったようです)。

→初出 第6巻p171

箱膳
箱膳
(はこぜん)

我が国の食事作法で、碗などの食器を収納しておく箱のことです。
食事の際には箱の上蓋を返し、ここに食器を並べ膳として用いました(食事が終わったら食器をきれいにして、再び箱の中に納めます)。基本的に家族の人数分だけ用意される、一人専用食卓と考えてください。「膳」というと現代では旅館などで提供される、いわゆる「お膳(和膳)」を思い浮かべるのが一般的ですが、実は江戸時代以降、昭和初期まで一般的に使用されていたのはこの箱膳でした。大正期に入るとこれに代わって普及したのが家族揃って食事を摂る形式の「卓袱台(ちゃぶだい)」で、さらに戦後になると居住環境変化(畳敷きからフローリングやカーペット敷きへと変化し)これに伴って食卓にテーブルが用いられるようになると、卓袱台はともかく箱膳のほうは、ほぼ完全に家庭から消滅してしまいました。

→初出 第6巻p179

賊名を蒙る
賊名を蒙る
(ぞくめいをこうむる)

「賊名を蒙る」という感覚は、現代でいう「罪を負う」感覚とは異なります。「悪名を蒙る」とも違う…むしろ「無実の罪を負わされる」に近いでしょうか。ことに幕末の正義と正義が激突していた時代には決して「不名誉」なことでもなかったでしょう。
ちなみにこの場で吉村貫一郎は「あまりいいことだと」思えないと語っていますが、当時の池田七三郎(元・稗田利八)のように、事情によって名前を変えることは、養子縁組で改名する場合だけではなくとも、割と頻繁に武士町人問わず行われていましたし、「偽名を使って身を隠す」という感覚でもありませんでした。法律で正式に禁止されたのは明治5年(1872年)「複名禁止令」および「改名禁止令」が太政官令で出された後になります。

→初出 第6巻p187

戻る TOP