壬生用語辞典

第5章 2話

奉天市・四平街
奉天市・四平街
(ほうてんし・しへいがい)

奉天市は現在の中華人民共和国・遼寧省瀋陽市にあたります。
清朝初期はここが首都で、17世紀に北京へ遷都したあとは、この地に「奉天府」が置かれ、繁栄しました。ちなみに本編で大野千秋が記者あてに手紙をしたためた時点(大正4年・1915年)から17年後の昭和7年(1932年)には「満州国」が成立し、ここは奉天省の省都となります。
また「四平街」は奉天市城内随一の繁華街で、本編より10年後には俗に「中華バロック」と呼ばれる、独特で華麗な建築物が軒を並べておりました。

→初出 第5章2話 p002

蒙古風
蒙古風
(もうこかぜ)

別名は「黄砂」。毎年、冬の終わりから春にかけ、中国大陸内部の乾燥地帯(ゴビ砂漠など)から舞い上がった砂塵が、低気圧と偏西風によって大陸東部へ、さらに日本列島まで飛来する現象です。
ちなみに冬の間は砂漠地帯は凍結して砂塵は舞い上がらず、さらにシベリア高気圧の影響で強風も発生しません。なので砂漠に低気圧が発生して砂塵が舞い上がる「黄砂」は、春の風物詩となるわけです。

→初出 第5章2話 p009

刎首
刎首
(ふんしゅ)

「首を刎ねる刑罰」のこと。打ち首、刎刑、斬首、斬罪などとも呼びます。
戊辰戦争の「負け組」である南部藩では、大野千秋の父・大野次郎右衛門だけでなく首席家老の楢山佐渡も、第1話で登場した報恩寺本堂にて刎首されました。
ちなみに武士たる身分の者が切腹を許されず刎首に処されるということは、それだけ屈辱的な処罰を科せられるという意味でもあります。

→初出 第5章2話 p015

廻漕店
廻漕店
(かいそうてん)

別名「廻船問屋」もしくは「船問屋」。
要するに現代で言う「海運業者」ですね。ただ、江戸時代は陸路より海路での輸送の方が圧倒的に多く(陸上輸送手段もインフラも未発達だったから当然なのですが)、さらに積荷の輸送から保管、船の手配管理、商品情報収集と提供、さらには船員などの宿泊やら人員手配まで兼ねていた廻漕店も多かったそうです。まさに当時の輸送業界のターミナル的存在と言えますね。
ただ明治以降は鉄道をはじめとした陸上輸送の急速な発展により、伝統的な廻漕店は衰退し、近代的な海運業者への転換を図るか、廃業へと追い込まれたようです。

→初出 第5章2話 p024

鶴亀鶴亀
鶴亀鶴亀
(つるかめつるかめ)

江戸ことばの符牒…つまり江戸っ子だけに通じる「暗号」のようなもの…とでも言いましょうか。
ちょっと聞くと長寿の象徴でもある「鶴」と「亀」を重ねた、縁起がいい言葉…のように思えますが、実は使うシチュエーションがまるで逆でした。つまり「縁起でもないことが起きると、それを打ち消すために口にする」要は縁起直しの符牒だったのです。
ここでいえば、賊軍になった南部の縁者(大野千秋)が訪ねて来たことが「縁起でもないから」さっさと引き取ってもらいたい、という意味を込めていたワケですね。
ちなみに本編では第8巻(斎藤一編179p)でも、近藤勇の養子になった谷周平を妬んで、斎藤一たちが寄ってたかっていじめていたところを吉村貫一郎が咎めた場面で、その激しい剣幕と正論ぶりで呆気に取られた沖田総司が「…つるかめつるかめ」と呟いています。

→初出 第5章2話 p027

太政官札
太政官札
(だじょうかんさつ)

薩長中心の「明治新政府」は、慶応4年(明治元年/1868年)に戊辰戦争に勝利はしたものの、財政的には苦境を極めており…なにせ徳川の幕府と違って、御用金の貯えが潤沢にあったワケではないのですから…急遽「運用期限は13年」と期限を切って発行したのが紙幣の「太政官札」です。その発行総額は、なんと4800万両!
なにせ庶民は「紙幣」なんかには慣れておらず、新政府の信用も低かったので、その流通は困難を極めたようです(新政府は流通させるために、さまざまな命令や制度運用に尽力したとか)。
本編で、廻船問屋・湊屋の主人が、大野千秋に差し出したのがその「太政官札」です。
ちなみに発行直後の太政官札は、札百両に対して金貨40両(つまり実質4割程度)の交換レートだったようです。

→初出 第5章2話 p029

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