壬生用語辞典

第5章 4話

張作霖将軍
張作霖将軍
(ちょうさくりんしょうぐん)

19世紀末、馬賊の頭領から身を起こし、物語当時(大正4年・1915年)には北洋軍閥の中将として清朝滅亡以後の満州・東三省(遼寧省・吉林省・黒竜江省)に勢力を伸ばす最中でした。なので本編中で、大野千秋は彼を当時の満州のトップである「東三省総督」(もしくは「奉天都督」)ではなく、単に「将軍」と呼んでいたのです。
ちなみにこれより四年後、彼は軍閥闘争に勝利し、事実上東三省の支配者となりましたが、最終的に蒋介石の北伐や欧米からの支持を失ったことから、結局彼を扱いかねた日本軍の謀略により暗殺されました。この件は「張作霖爆殺事件」として有名です。

→初出 第5章4話 p004

大連
(だいれん)

現在は中華人民共和国・遼寧省の遼東半島の南端に位置し、華東地区の玄関口ともなっている港湾都市です。大野千秋が奉天にいたこの当時、大連は日露戦争の終結で(ポーツマス条約により)日本の租借地となりました。満州における貿易中継地として港湾や都市全体も整備され、日中戦争終結直前の人口は約60万人(うち、日本人居留者は約20万人)にも達していました。

→初出 第5章4話 p004

鹵獲品
(ろかくひん)

意味としては「戦争の勝利によって敵から奪った戦利品で、基本的には兵器や装備」を指す軍事用語です。
気になるのは(大野千秋によると)本編における鹵獲品(医薬品)は張作霖将軍が「独逸(ドイツ)」から手に入れた、という点です。張作霖が満州独立(支配)を宣言するのは第一次世界大戦終結後(大正11年・1922年)つまり本編より7年後ですが、この大戦でのドイツ敗北より以前から、日本軍が支持した張作霖と中国に進出した欧米の関係は決して良いものではありませんでした。
大野千秋が書き記した大正4年(1915年)は大正3年(1914年)に日本は第一次大戦では連合国側に立ってドイツに対し宣戦布告した直後で、満州・山東半島南岸にあるドイツ租界(膠州湾租借地)を日本軍が占領した時期でもありました。張作霖将軍もまたこの作戦に参加したか、あるいは作戦中の日本軍に協力したため、租借地にあったドイツの医薬品などを手に入れたのではないでしょうか。

→初出 第5章4話 p004

御脇腹・庶子
御脇腹・庶子
(おわきばら・しょし)

二つの用語とも意味は同じで、要するに「正妻以外の女性が産んだ子供」という意味です。当時の用語では「妾腹(めかけばら)」という蔑称もありました。
こういった子供(男子)の扱いは本編の通りで、通常は家督を継げない「日蔭者」としての人生を歩まざるを得ませんでした。

→初出 第5章4話 p006

与力小路
与力小路
(よりきこうじ)

一般に「与力」と言うと、江戸幕府の町奉行の配下で、行政や司法、警察の任にあたる官吏を指しますが、中世から戦国時代には足軽大将など、戦国武将に従う中級・下級武士を意味しました。
南部藩(盛岡藩)における「与力」小路もおそらく本来の意味に近く、おおよそ「上士」(時代によって区分が変わりますが、おおよそ百石取り以上の「中士」も含んだ)の邸宅が並ぶ小路、が呼び名の発祥と推測されます。
要するに、藩のお偉い様たちの住まう場所だったわけですね。

→初出 第5章4話 p007

足軽同心
足軽同心
(あしがるどうしん)

他の章でも、南部藩(盛岡藩)藩士時代の吉村貫一郎の身分を「二人二駄扶持の小者」とか「足軽小者」などという蔑みの言葉で呼ばれていたというエピソードが紹介されています。「足軽」は正式な武士(南部藩では藩士)と認められない下級者、「小者」は武家の奉公人、といった意味です。
そして「同心」は…一般には江戸幕府の「与力」の配下の下級役人(よく「捕り物」などで、警備役として登場しています)を指す用語ですが…藩によっては「足軽階級の小者」と同じ意味で使われていました。南部の場合も同じ扱いだったようです。

→初出 第5章4話 p007

尺・寸・分・文
尺・寸・分・文
(しゃく・すん・ぶ・もん)

俗に言うわが国古来の単位「尺貫法」における長さの用語です。
「1尺」は303mm、「1寸」は30.3mm、「1分」はおよそ3mmですから身長「四尺八寸五分」の大野次郎右衛門の身長は、厳密には147.09cm(おおよそ145cm)となります。
またこれとは別に、江戸時代の「一文銭」の直径(おおよそ24mm)を基準にした長さの単位(文=もん)もあり、足の長さを測るのに使われました。大野次郎右衛門の足袋の長さ「九文三分」は223mm(おおよそ22cm)となります。
(参考までに)昭和の時代に足の長さが「十六文」で有名な大男レスラーがいましたが、尺貫法で計算すると彼の足寸はおよそ38cmです。
なお、この尺貫法は昭和中期まで公に使用されていました。

→初出 第5章4話 p015

中間
中間
(ちゅうげん)

「ちゅうかん」と呼んではいけません。
第1章にも登場した用語ですが、要するに身分的に武士ではなく「武家に仕える奉公人」全般を指す用語で、ここでは、四百石取りの大野家で雑用を勤める奉公人を指しています。

→初出 第5章4話 p016

茱萸の実
茱萸の実
(ぐみのみ)

果実の「茱萸(ぐみ)」の実は、もちろん現在、市販されているお菓子の「グミ」とは全く別物です(お菓子のグミは、元々がドイツ語で「ゴム」の意味から来ています)。
グミ科グミ属の木になるこの実は、外見はサクランボをちょっと細くしたような形の赤い実で、熟す前は渋くてとても食べられないのですが、実が赤くなると甘酸っぱく美味だそうです。
おおよそ晩春から梅雨の時期が食べごろと言われていますが、現代では家庭で栽培されることがほとんどで、めったに市場に出回ることはありません。

→初出 第5章4話 p020

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