壬生用語辞典

第六章 第1話

中間・小身者
中間・小身者
(ちゅうげん・こもの)

「ちゅうかん」と呼んではいけません。
身分的に武士ではなく「武家に仕える奉公人」全般を指した用語です。一般には、武家屋敷で雑用を勤める奉公人全般を指しました。実は今回、第6章の語り部である「佐助」の立ち位置を示す重要な用語でもあります。
また吉村貫一郎は佐助を別のところで「小身者(こもの)」とも呼んでいます。これは禄の低い下級者を馬鹿にした呼び方で「身長の低い人」という意味ではありません。ただし本編を読んでいただければお判りでしょうが、吉村貫一郎は決して佐助を見下していたわけではなく、この場合は単なる風習としてそう呼んでいただけです。
ちなみに吉村は自分自身の身分を指して「足軽小身者」などとも呼んでいました。

→初出 第六章 第1話 p023&025

道中手形・道中奉行
道中手形・道中奉行
(どうちゅうてがた・どうちゅうぶぎょう)

「道中手形」(通行手形とも呼びました)は要するに江戸時代の「パスポート」。他国(他藩)へ移動する際に関所で提示を義務づけられた必携アイテムですね。第6章では南部を出奔(脱藩)することを吉村貫一郎が決意したことを知った大野次郎右衛門が、中間の佐助に託してこの道中手形を吉村へ(ひそかに)渡しています。しかもこれは盛岡藩の「公用手形」ですから、見せただけでほぼ全ての関所がフリーパスになるという貴重なものでした。
さらに大野は手形とともに「道中奉行のごとき」立派な旅装束も吉村に渡していますが、この「道中奉行」というのは吉村の…いささか大げさな表現ですね。
道中奉行というのは幕府の役職で、五街道(東海道・中山道など)や宿場などを所轄する役職で、大目付や勘定奉行から各一名ずつが兼帯(兼任)するという重要な役職ですから、間違っても足軽風情に振られる役ではありません。

→初出 第六章 第1話 p024

御小人丁
御小人丁
(おこびとちょう)

とくに重要な用語ではありませんが、意味が分からなくてちょっと気になる方のために解説しておきましょう。
本編では佐助の出自を「志家の御小人丁」と吉村貫一郎は呟いていますが、この「志家」は現在の盛岡市志家町(盛岡城址から東に位置する区画です)を指すと思われます。
当時、たとえば吉村貫一郎が大野家の足軽として、盛岡城下の上田組丁(居住ブロック)に居を構えていたように、中間の佐助も志家に在る小身者(御小人)たちの区画に居を構えていたのでしょう。

→初出 第六章 第1話 p025

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