壬生用語辞典

第七章 最終話

昇旗
昇旗
(のぼりばた)

「幟(のぼり)」とも呼ばれます。ここでは戦場で兵が用いる「旗の上辺のみに横上(よこがみ)をつけ、緒を設けて旗棹(はたざお)に結び付けたいわゆる流(ながれ)旗に対し、上辺および縦辺の二方向に乳(ち=旗を棹に繋げる袋状の筒)をつけ、棹を中に通し固定した形態の旗」を指します。
改めて説明すると、逆に何やら分かりづらいのですが、要は戦国時代劇などの戦場シーンでよく見かける「武将足軽を問わず、各自が腰に挿して用いた」旗です。戦場では旗に描かれた旗印を見て、各々が敵と味方を識別していたワケですね。
ちなみに、この昇旗が登場したのは戦国時代以降らしく、一説には康正2年(1456年)畠山政長と義就が同族同士で争った折に敵味方の識別がむずかしいので、政長が自軍の流旗に乳をつけ、竿を通して押し立てたのが起源だとか。そう言われると、確かに平安時代末期の「源平の合戦図」などでは、各陣営を示す赤や白の流旗は描かれているけど、将兵個人は昇旗を身に挿してはいませんね。
本編では吉村嘉一郎が「最後に残った南部武士の矜持を戦場で見せんがために」あえてこの「南部家の家紋=対い鶴に九曜」が描かれた昇旗を背負って戦いました。

→初出 第七章 最終話 p06

二駄二人扶持
二駄二人扶持
(にだににんぶち)

本編でたびたび、吉村貫一郎が自らの(南部の足軽小物だった時代の)身分を称して…いささか自嘲気味に…使った文言です。これを第七章では、箱館戦争最後の局面で息子の嘉一郎が復唱しました。
具体的にどんな意味かと言うと「二駄」は「馬が二頭分」ということ。江戸期までは馬一頭に俵二つを振り分け荷物として運んだので、二駄だと合計で俵4つ分になります。
一俵はコメにしておよそ5斗(玄米50升=75キロ、精米すると60キロ程度)ですから、二俵だとおよそ10斗(百升=120キロ)。実はこれが「一石」で、一人が一年で食べるコメの基本単位です。つまり俵4つ分(二人扶持)は、本当に「コメ現物支給(御切米)」で二人が一年間食べていける(かどうかの?)ギリギリの俸給だったわけです。
もっとも人間がコメだけ食って生きていけるはずもなく、吉村貫一郎の場合は藩からこれとは別に「御扶持米」つまり生活費補助が加わって、合計で年に14俵(およそ840キロ)ほどが支給されたようです。ちなみにこの吉村の俸給は居酒屋・角屋の親父(元新選組隊士・竹中正助)が計算したものです(本編第2巻・146ページ)。

→初出 第七章 最終話 p06

スペンサー銃
スペンサー銃
(すぺんさーじゅう)

1860年にアメリカで開発された銃です。弾は元込め式(銃身の後方から挿入する型式)で7連装、最大で7連射可能という当時としては最新式のライフル銃で、南北戦争でも大活躍しました。この時代はわが国ではまさしく幕末維新の動乱期でしたが、欧米列強においても火器の開発競争が日進月歩でした(このあたりの事情は「壬生義士伝異聞」第26回〜上等舶来かなり誤解〜? の項でも詳しく解説しております)。
なぜその銃を箱館戦争で旧幕府軍が使ったかというと、実は幕府陸軍奉行の大島圭介が(かなり高価なため少数でしたが)購入していたからです。箱館戦争も最終盤に至り今まで秘匿していた秘密兵器を、この際大盤振る舞いで大放出したのでしょうか。本編最終回で出会った(元)浦賀奉行所の柴田伸助老がこの銃を選んでくれたのも、さすがの目利きというべきです。
ちなみに敵の官軍も同様にこの銃を導入していましたから、この決戦では敵味方で最新火器スペンサー銃の乱れ撃ちとなった…かもしれません。

→初出 第七章 最終話 p09

陸軍奉行の添役
陸軍奉行の添役
(りくぐんぶぎょうのそえやく)

「添役」とは、要するに補佐役のことです。つまり元新選組隊士・竹中正助は「陸軍奉行(この時点では榎本武揚になっています)」の部下ではなく、あくまで補佐役としてこの戦にはせ参じたのだ、という立場をここで柴田伸助老人に名乗ったことになります。
些細と言えば些細なことですが、武士同士がこうして「名乗り」をする場合、こうした一言にも注意した方がよいかもしれません。

→初出 第七章 最終話 p09

浦賀奉行所同心
(うらがぶぎょうしょどうしん)

箱館戦争最後の激戦で知り合った兵士、柴田伸助老人が名乗った元の役職です。「同心」は幕府において奉行(および幕府直轄組織における城代、大番役など)配下の下級武士の総称です。奉行所ではトップが奉行、次席に与力。その部下として同心は、庶務や警備などの任に当たりました。ちなみに彼の直属上司である中島三郎助はペリー艦隊の来航時には浦賀奉行所の与力でした。一説では中島はペリー提督の応接役を務めた際に(下級役人の与力が応接役では格好がつかないからか)自らを「浦賀奉行」と名乗った(僭称した?)ともいわれています。

→初出 第七章 最終話 p09

十二斤の加農砲
十二斤の加農砲
(じゅうにぽんどのかのんほう)

加農砲(カノン砲・キャノン砲とも呼ばれました)は幕末以降に西欧列強から導入された大砲の一呼称です。19世紀当時の基準では加農砲は高初速で徹甲弾や榴散弾などを水平に近い弾道(低伸弾道)で打ち出す大砲と定義されます。ちなみに、これに対し迫撃砲(臼砲)は弾が山なりの弾道を描きます。外見的にも迫撃砲などに比べ加農砲は砲身が細長く、水平発射の取り回しが容易という特徴がありました。ちなみに12斤(ポンド)砲弾は重量にしておよそ5.5キログラムに相当します。

→初出 第七章 最終話 p17

ミニエー
ミニエー
(みにえー)

ミニエー(銃)は1840年代末にフランスで開発されたライフル銃(先込め式)です。わが国には幕末に西欧列強から大量に輸入され、慶応2年(1866年)に勃発した第二次長州征伐を皮切りに活躍しました。ただ当時は兵器開発競争が西欧各国では熾烈を極めており、戊辰戦争の時点で(1860年代末)ミニエー銃は既に旧式銃の扱いを受けています。本編でも吉村嘉一郎が元込め式7連装スペンサー銃の性能に感嘆し、以前の秋田討ち入りで使っていたミニエー銃が「弾込めの間に斬りかかられて使いものにはならなかった…」と語ったのが、当時の日進月歩だったライフル銃開発競争の実態をよく象徴していますね。

→初出 第七章 最終話 p18

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