壬生用語辞典

最終章 第2話

三等車
三等車
(さんとうしゃ)

大正9年(1920年)に設置された鉄道省(現在のJRの前身)で規定された鉄道旅客車両の等級の一つです。わが国では明治5年の開業当初から3等級に分類されていましたが(当初は上等、中等、下等)これは乗車車両の区分であって、特急列車や急行列車といった、停車駅の区分ではありません。
ちなみに大正7年(1918年)の料金は一等が三等運賃の3倍、二等は三等運賃の1.5倍と定められていました。当然、等級によって座席の座り心地(布張りや革、クロスシートなどの区別)、足元の余裕や個室空間など、鉄道駅における特別待合室の使用、列車内でのサービス内容の差(無料の飲み物や食事、新聞の提供など)はありましたが、鉄道駅ルートや列車運行に関しては等級によって差はありませんでした。

→初出 最終章 第2話(p03)

盛岡高等農林学校
盛岡高等農林学校
(もりおかこうとうのうりんがっこう)

我が国の食糧増産および農業技術者、また農業教員と中堅技術官吏の育成を目的として、明治36年(1903年)に設立された、官立では日本最初の高等農林学校です(現在の岩手大学農学部)。東北の振興という国内政策もあって、盛岡に設置されました。
ちなみに著名な卒業生としては、宮沢賢治(大正4年(1915年)農学部入学)がいます。
成績優秀な賢治は関豊太郎教授に目をかけられ、地質や土壌についての教えを受けた、と言われています。

→初出 最終章 第2話(p11)

江藤彦左衛門
江藤彦左衛門
(えとうひこざえもん)

二代目・吉村貫一郎(初代吉村貫一郎の次男)を引き取り養育した篤志家で、越後の豪農(大地主)という人物として登場します。
本編『壬生義士伝』においては創作上の人物(実在しません)ですが、モデルは越後随一の豪農・伊藤家(「豪農の館・越後の北方文化博物館」新潟県新潟市江南区沢海(そうみ)に記念博物館があります)の三代目・伊藤文吉ではないかとも目されています。
戦前(明治・大正期)には、それぞれの地方では豪農や豪商、名士と言われた人物が、貧しくとも志ある若者を支援し、それぞれの道(学問や実業、政治など)へ進ませる手助けをしたという逸話は数多くありました。

→初出 最終章 第2話(p15)

東京農林学校
東京農林学校
(とうきょうのうりんがっこう)

創立は明治19年(1886年)。我が国の農学に関する旧制教育機関で、現在の東京大学農学部の前身にあたります(この年、農商務省が所轄していた駒場農林学校と東京山林学校が合併して設立されました)。
本編で語られているように明治23年(1890年)にはこの東京農林学校は東京帝国大学農科大学と改称されますが、さらに記者が二代目・吉村貫一郎を取材した前後の大正8年(1919年)には学部生を採用し東京帝国大学農学部に改称。最終的には1935年に本郷にあった旧制第一高等学校と敷地交換し文京区弥生に移転、現在に至ります。

→初出 最終章 第2話(p19)

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