壬生用語辞典

最終章 第4話

損耗高
損耗高
(そんもうだか)

「損耗」とは、一般的には「使って目減りしてしまうこと」を意味する用語ですが、ここでは領地のコメの収量が「予定収量から目減りしてしまった度合い」と考えてください。
吉村貫一郎がかつて江戸時代に、大凶作で「損耗高が二十万石を越えた」ことを指して「つまり全滅」と言ったのは、当時の南部藩の石高が二十万石だったからです。平たく言えば、平時の南部藩には20万人の領民を養えるだけのコメの収量=経済力があると計算されていたことになりますが、実際には幕末に南部藩は、いわゆる「高直り」で石高を十万石から二十万石に嵩上げしていましたから、幕末期の実質的な経済力はそれ以下だったとも推測されます。
ちなみに、幕末の南部藩を襲った大凶作は俗に「天保の大飢饉(1833-1839年)」と呼ばれ、数多くの餓死者を出した最大級の災害として記録されています。

→初出 最終章 第4話(p07)

産米十九万石
産米十九万石
(さんまいじゅうきゅうまんごく)

前項でも解説しましたが、幕末には二十万石だった南部藩も、時代が明治期に入って近代農学の発展とともにコメの収量も飛躍的に発展を遂げるのですが、本編で吉村貫一郎が記者に語った時点(大正4年頃)から数えて僅か10年前に、この「産米十九万石」という大災害が南部の地を襲うことになります。明治30年時点で平年作五十五万石を記録した岩手県が、明治38年には十九万石…つまり幕末時点の収量まで一気に引き戻されたのですから、その凶作の壮絶さは大変なものだったと思われます。
ただ江戸時代(天保の大飢饉)のような餓死者続出…は避けられ、県は道路や改築、護岸、架橋といった救農事業および耕地整理事業に尽力したとされています。もっとも、地元農家の困窮は吉村が語るように「娘の身売り」といった悲惨な状況が各地で発生したことは否めなかったようですが…。

→初出 最終章 第4話(p08)

明治の三大品種
明治の三大品種
(めいじのさんだいひんしゅ)

二代目吉村貫一郎が語ったように維新以降にかけて日本はコメの増産に拍車がかかった時期でした。政府の農業政策により開発された三大品種「愛国・神力・亀ノ尾」は明治〜昭和初期にかけて全国に普及ました。このうち静岡の多収量の「身上早生(しんじょうわせ)」は「愛国」として南部から宮城にかけて広く普及し、これに耐冷害の遺伝子供給を加えて品種改良され、のちのササニシキ、ヒトメボレ、さらに新潟ではコシヒカリなどの名産米を生み出します。
余談ながら三大品種のうち「亀ノ尾」は昭和に入って酒米・寿司米としても珍重され、のちに幻の酒米をめぐる名作漫画『夏子の酒』のモデルにもなりました。

→初出 最終章 第4話(p09)

西ヶ原の試験場
西ヶ原の試験場
(にしがはらのしけんじょう)

明治26年(1893年)に設立された、農商務省農事試験場のことです。当時の東京府北豊島郡瀧ノ川村西ヶ原に創設されたので、この名で呼ばれました。現在は「農林水産省農林水産政策研究所」の名で 筑波学園都市に移設されましたが、一部施設は東京都北区の滝野川公園内に隣接する形で現存しています。

→初出 最終章 第4話(p14)

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