壬生義士伝異聞

第1回
新選組局長・大久保剛…って…誰?

誰? と言われても困ってしまいますね。実際、そんな名前の新選組局長なんていなかったんだから。だけどこのアオリ、全くのデタラメ&大ウソというわけでもないのです。ちょっと時系列的に史実をいじったら、こういうことも言えたんじゃないかな、というレベルですけど。

「大和守」になった局長

第三章「池田七三郎編」や第四章「斎藤一編」でも、クライマックスの舞台は旧幕府軍と薩長官軍との戦い・戊辰戦争です。『壬生義士伝』では鳥羽伏見の戦いを経て大坂・淀千本松での激戦が描かれますが、結局は散々な敗戦の憂き目に合って、近藤たちは江戸に戻ることになります。
で、こののち旧幕府の命により新選組は改組され「甲陽鎮撫隊」となって甲府方面へ進軍するのですが、このときに近藤自身も改名して「大久保剛」を名乗ることになります。
ちなみに(ここからちょっと諸説があるのですが)、旧幕府から「大久保大和守剛」の名を下賜されたという説と、結局甲陽鎮撫隊も敗戦続きで瓦解したので、「大久保剛」はさらに「大久保大和」と名を変えて逃走した、という説まであります。
それにしても「大久保ヤマトノカミ(直訳すれば大和国の国守!)剛」なんて大層な名前まで下賜されて、しかも軍資金五千両まで与えられ、ついでに大名身分まで約束されたのだとすると、甲陽鎮撫隊を率いることになった時点で、近藤勇の人生は絶頂期だった…のかもしれません。

本編カット
出世だけど厄介払い?

では、そもそもなんで「近藤」姓を「大久保」に改めたのか…なのですが、実は甲陽鎮撫隊のパトロンで旧幕府会計総裁が「大久保一翁」だったので、そこから頂いたのかもしれません。こればっかりは(史料もないようなので)本人に確かめるしかないのですけど、もう間に合わないな…。
ただ、裏事情をいえばこの時期、官軍は江戸に進軍中。薩長軍(官軍)にとって憎っくき仇敵「新選組」の残党を江戸に残しておいたら騒動を起こす可能性が高く、何かと面倒だとばかり、体よく甲府へ追いやられたという説もあり…しかもこの策を考えたのは、新選組嫌いで大久保一翁の盟友である勝海舟だとか…まあ、そんな事情を近藤さんが知ってたら、取り立てて大久保さんに義理立てすることもなかったでしょうね。

→次回
【新選組、みんな悩んで××になった!?】に続く
イラストカット
2022.04
『壬生義士伝』執筆状況

「居酒屋『角屋』の親父2」
執筆完了 現在鋭意編集作業中

配信開始は 6月3日(金曜日)より!

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