壬生義士伝異聞

第2回
新選組、みんな悩んで××になった!?

前回は「新選組局長 大久保剛」なんて謎の人物のこと語ってしまいましたけど(ちょっと無理筋だったかな?)実際に江戸時代あたりまでは、改名なんて珍しくも何ともなかったのです。
たとえば近藤勇にしても…その生涯の最後には「大久保剛」を名乗ったわけですけど…幼名は「宮川勝五郎(後に勝太と改める)」、さらに江戸へ出て試衛館道場へ入門してからは嶋崎家の養子となり「嶋崎勝太」→「嶋崎勇」そして近藤家と縁組したのち「近藤勇」に変わったわけです。人生で何回、名前を変えたんでしょうね、この方は。
明治5年に、徴兵と徴税を目的にした明治新政府が戸籍法を施行し、そのついでに(?)改名禁止令も出されたわけですが、実はその後もたびたび無視されてたようですね。

斎藤一も悩んで××と名乗った

ちなみに「斎藤一編」でも語られましたが、戊辰戦争で会津藩士として戦った斎藤一は、その時点で「一戸伝八(いちのへでんぱち)」と改名し、新選組隊士としての過去を一切水に流しました。
さらに明治に入り、彼は二度結婚していますが、再婚の折に名をさらに「藤田五郎」と変えたとも伝えられています。後年、警視庁で警部を勤めた(元)斎藤一が、かつて天満屋襲撃事件のドサクサの折に、自らが手に掛けようとした紀州藩家老の三浦久太郎(その時点で、三浦は東京府知事にまで上り詰めていました)と再会する場面があるのですが、彼は自分を何と名乗っていたのでしょうか…実は『壬生義士伝』本編ではその件は語られていないので、読者の方で勝手に想像して、愉しむしかありませんね。

本編カット
格式に従うと、誰が誰やら…

ついでにもう一つ、名前に関する厄介なお話を。
武士には「字(あざな)」つまり「皆が呼ぶ通り名」の他に「諱(いみな)」という「その人物を死後に呼ぶべき本名」がありました。 たとえば『壬生義士伝』では斎藤一に斬られてしまった坂本龍馬。
この人には「直柔(なおなり)」という諱がありましたから、日本の伝統格式に従えば、正しくは坂本さんを私たちは「坂本直柔(さかもとなおなり)」(あるいは「坂本龍馬直柔(さかもとのりょうまなおなり)」もしくは「坂本直柔龍馬」)とお呼びするべきかもしれません…現代ではそんな伝統も廃れてしまい、誰もそんな呼び方はしませんけど。
ちなみに、この伝統に従うと新選組幹部の皆さんのお名前は「近藤昌宜(こんどうまさよし)」「土方義豊(ひじかたよしとよ)」「沖田房良(おきたかねよし)」などとなります。こうなると、もう誰が誰だか判りませんね。
ところで肝心の、主人公吉村貫一郎の諱はというと…実は確かな史料がないので不明です! 返す返すも残念です。
さて次回は、再び「近藤勇」繋がりでちょっと変わったエピソードをご紹介しましょう。

→次回
【大名昇進祝い…で大失敗?】に続く
戻る TOP