壬生義士伝異聞

第12回
今度こそがんばろう沖田君…の黒猫!

さて、前回はタイトルにだけ登場したものの、結局それだけで終わってしまったという、尻切れトンボ「沖田君の黒猫」のお話です。
『壬生義士伝』本編では労咳…現在でいう結核ですね…の病状が悪化した沖田総司くんですが、鳥羽伏見の戦の直前、狙撃されて怪我を負った近藤局長とともに伏見奉行所から大坂へと廻送されて舞台から退場します。
伝えられるところでは、その後に近藤と共に療養のため江戸へ戻ったあと、千駄ヶ谷の植木屋に匿われ(しかも身元を隠すために「井上宗次郎」と名乗ったそうですが)療養に努めますが結局、近藤の死と同年の慶応四年(1868年)に労咳が悪化して亡くなります。
ここで登場するのが、死を前にした沖田君の身近に出没したという「黒猫」です!

本編カット

現在では想像できませんが、江戸末期の千駄ヶ谷にはオリンピック関連施設もなければ新国立競技場もなく…なくて当り前ですね…かなり広い敷地(主に樹園)をもつ植木屋がたくさんあったのだとか。で、沖田君の療養していた植木屋には、彼が散歩するたびこの庭園に、ある黒猫が出没し、なぜか沖田君にまとわりつくのだった、と。
で、この黒猫をなぜか沖田君はとても気に入り、病みやつれた自分の分身として、取り憑かれたように可愛がっていた、という説もあれば、彼はコイツを忌み嫌って、江戸まで持ち込んできた名刀・菊一文字で何度も斬ろうとするものの果たせず、最期には病床でぽつりと「あの猫は、また来ているだろうか…」と呟いて意識を失い、そのまま亡くなった…という逸話もあります。
ただし!これは、よ〜く調べると純然たるフィクションと判るんですよね。

「幸運の神様」を斬るなんて!

「黒猫をネコっ可愛がりしてた」説は…出元が某人気コミックらしく(タイトルと作者はあえて伏せておきますけど)、また「何度も斬ろうとして果たせず…最期は枕元でウンヌン」説は一応、司馬遼太郎の『燃えよ剣』にそれらしき元ネタがあるのだけど、なんか随分とデコレーションされて伝わってるのです。まあ、その方がドラマチックで面白いんだけど。

本編カット

ちなみに『燃えよ剣』では、沖田くんのご遺族で義兄にあたる沖田林太郎家の言い伝えとして、この黒猫のことが登場します。
沖田総司くんの死は、かなり唐突にやってきたらしく、その年の五月三十日、誰にも看取られることがなかった、と。縁側で吐血して事切れていた彼が、手にしていたのが件の菊一文字で、そこからいつも庭に来ていた黒猫を斬ろうとして果たせず、そのまま絶命したのだろう、という話が出来あがったようです。

けどよく考えてみれば、沖田君が黒猫を斬る動機がわかりません!
「黒猫が死を前にした病人にまとわりつくなんて、すっごく不吉だし…」というのは、西洋の常識(?)に惑わされてる証拠。そもそも、江戸時代に「黒猫は不吉」なんて迷信は存在してません。
むしろ、猫は「招き猫」で幸運をもたらす動物ですし、ことに黒猫は、縁結びや労咳を直す福猫なのだという迷信さえあったそうですから、そんな福の神サマを斬って捨てるなんてとんでもない!
まあ、なんで黒猫を飼うと労咳に効くという迷信が生まれたかは不明です。ちょっと調べてみたけど、原典は不明でした。よく猫を飼うと、猫毛が飛び散って喘息には悪い…という話ならさんざん耳にしますけどね。

話は変わりますけど、沖田くんの死とほぼ同時に…というより彼の死の直前、慶応四年(1868年)四月二十五日に、彼の師でもあった近藤勇局長は板橋で刑死し、この世を去っています。ところが彼の家族は病床の沖田くんを気遣い、決してそれを彼に伝えなかったのだとか。なので沖田くんも「先生はどうされたのだろう。おたよりは来ていませんか」と死の前日まで気にしていたのだとか。
ひょっとすると、この黒猫クンは、そんな沖田くんの心を察して、近藤局長の逝去を彼に伝えようと訪れた、使者だったのかもしれません。そしてそのメッセージが伝わったのち、沖田くんもようやく冥界へ旅立つことができたのだ、と。
…なんて物語を考えると、それはそれで少しばかりドラマチックじゃないでしょうか。勝手に作っちゃってスミマセン。

さて次回は、なんか触れると次々に出てくる沖田総司君のエピソード…なので、もう一回だけ沖田ネタを延長してみます。ラストは沖田君の恋愛ネタで締めましょう。

→次回
【がんばろう沖田君…の恋バナ!】に続く
イラストカット
2022.04
『壬生義士伝』執筆状況

「居酒屋『角屋』の親父2」
執筆完了 現在鋭意編集作業中

配信開始は 6月3日(金曜日)より!

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