壬生義士伝異聞

第15回
無敵要塞、あっという間に陥落!

さて『壬生義士伝』の主人公といえば当然、吉村貫一郎ですが、物語後半でクローズアップされるのは彼の息子「吉村嘉一郎」でもあります。
実は本編「桜庭弥之助」編(単行本第3巻〜第4巻)でも登場しているのですが、そのラストシーンで彼は奥羽列藩同盟である南部藩の一員として、秋田藩を攻める雫石口橋場の陣へ単身で馳せ参じています。
この時点ですでに父・貫一郎はこの世にいないわけですが、その最期に南部藩大坂蔵屋敷へ身を寄せた貫一郎に授けられた大業物の銘刀・大和守安定は息子の嘉一郎へと受け継がれ、彼はそれを手に見事、戦の先駆けを果たしたのでした。
ちなみに「桜庭弥之助編」では、彼のその後の消息は描かれていませんが、実はその先の…これから先の「大野千秋編」では、蝦夷つまり北海道へ渡り、戊辰戦争最後の激戦である箱館戦争に参陣することが描かれる予定です。

本編カット
守勢の常道は、やっぱし籠城?

さて、慶応4年/明治元年(1868年)に勃発した、旧幕府軍と新政府軍(官軍)との戦争─いわゆる戊辰戦争は、その年の正月の「鳥羽伏見の戦い」で華々しく火蓋が切られ、最終的には翌年明治2年(1869年)5月の「箱館戦争」の激戦で幕を閉じます。
この間に江戸城の無血開城とか彰義隊決起による上野戦争などなど、さまざまな戦が各地で繰り広げられたわけですが、中でも有名な会津白虎隊の悲劇や、若松城陥落などで知られる会津戦争には注目です。
旧幕府側の奥羽列藩同盟は、言ってみればこの戊辰戦争では一方的に官軍(新政府軍)からは押されっぱなしで…まあ旧軍艦奉行だった榎本武揚たちが新鋭軍艦をかっぱらって北海道へ逃げ「蝦夷共和国」を作ったり(実際に独立宣言したわけではなかったそうですが)して、それなりの反攻はあったけど…こうなると守る側は籠城でもして敵を食い止め、時間を稼ぐしかない。
その典型が会津戦争での若松城(鶴ヶ城)攻防戦だったワケです。NHK大河ドラマ『八重の桜』なんかでは、およそ一月にわたる壮絶な籠城戦の様子が描かれています。
結局、その年の9月22日に会津は陥落、ここから官軍はさらに北上して、いよいよ最終決戦の場である函館(当時は「箱館」)へと移ります…が!?

本編カット
カッコいいけど役立たず? の最新鋭要塞

さて同年10月、旧幕府海軍の軍艦8隻を奪取して北へ向かった榎本武揚らですが、盛岡沖・宮古で最最新鋭艦(甲鉄)奪取に失敗するなど少々ミソを付けたあと、12月に事実上の蝦夷独立を宣言するものの、列強からは無視されて…まあコレは仕方ないけど…結局、勢いづいた新政府軍の蝦夷上陸により翌年3月から「箱館戦争」へと突入します。
ここで元新選組副長(この時点では蝦夷共和国(?)間道軍総督)土方歳三や、吉村貫一郎の息子・嘉一郎が華々しく活躍する舞台が整うわけです。ここでかの有名な洋装姿の凛々しい土方の肖像写真が撮られてたりするワケですね。
で、本陣を箱館五稜郭に置いた共和国軍(ということにしておきます)は、正面の箱館を迂回し、北西の江差に上陸した新政府軍を迎え撃つ!
ここから先の陸戦の模様については省略しますけど、つまるところ共和国軍は新政府軍に対して、けっこう善戦するものの結局、本拠地・箱館までの進軍を許してしまったワケですね。まあ仕方がない。この時点で榎本海軍は海戦でガタガタ。新政府軍は次々と兵を補充して上陸させることができたのだから、要するに「多勢に無勢」も仕方ない。

というところで、この蝦夷共和国軍(仮称)本陣となった五稜郭について、ちょっと解説しておきます。あの五角形の独特な城郭は「稜堡式要塞」とか「星型要塞」という形式で、あの出っ張りから、攻め寄せてくる敵をさまざまな角度から狙撃・砲撃できる構造になっていたワケです。まあ「無敵」は言い過ぎとしても、かなり防御力に優れた近代要塞だったことは間違いありませんね。
ところが! 劣勢に追い込まれても土方たちは結局、最後までこの五稜郭で籠城するという策を取らず、5月11日の陸海同時の箱館総攻撃の折には五稜郭の西南、箱館山に設置された弁天台場を死守するために五百名程度の兵で出撃し、戦死しました。

無敵要塞なのになぜ籠って戦わなかったの? といえば…種を明かせばこの五稜郭、要するに「施工不良」だったということ。なにせ蝦夷地の過酷な環境で設計上、本来嵩上げしておかなきゃならない城壁の高さが足りなかった…こうなると、敵の大砲をろくに防げない。要はコケオドシの要塞だったのですね。
だから土方たちは五稜郭を捨てて「使いものになる」箱館山の弁天台場を守ろうとして、命を落とす結果になったのでしょう。
ちなみに共和国海軍(?)を率いた榎本武揚はその後、助命されて新政府の要職に就きました。一方、最後の武士として矜持を守り切った土方歳三や、吉村貫一郎の息子・嘉一郎らはこの「武士が戦った最後の戦で」華々しく散りました。何とも不公平な気もしてきますが、その潔さゆえに、こうして日本人の記憶と伝説に、深く残ったのでしょうね。

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→次回
【御開化「医業」苦闘物語】に続く
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2022.04
『壬生義士伝』執筆状況

「居酒屋『角屋』の親父2」
執筆完了 現在鋭意編集作業中

配信開始は 6月3日(金曜日)より!

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