壬生義士伝異聞

第18回
馬賊って、けっこういいヤツらだぜ!?

本編「大野千秋編」でも登場する満洲馬賊。一般的には満洲を舞台に荒らしまわる、無法者集団…といったイメージが強いのですが、大正時代初期、奉天在住だった大野千秋自身は彼らを「むろん無法者の集団に違いありませんが」と断りつつも、一方で「存外に義侠心に篤(あつ)く、黙っていくばくかの金を差し出せば、さほど無体は働かぬものなのです」とも書いています。(ちなみに「馬賊」というのは日本人が付けた俗称で、彼ら自身は自らを「赤鬍子(赤ヒゲ)」などと呼んでいたようですね)。
果たしてその実態は単なるギャング団だったのか、それとも(大野千秋に言わせれば、野武士などとは違う)「義侠集団」か…その評価はともかく、幾多の馬賊集団の中から張作霖のような東三省を支配した北洋軍閥の支配者まで登場するのだから、その影響力は決してバカにしたものではなかった…のは確かです。

実は馬賊=満洲「新規参入組」だった!?

案外と誤解されることもあるので、最初に断っておきますが「馬賊は日清戦争以降、中国に進出した日本軍に対する、満洲族のレジスタンスだった」わけではありません。
まず清朝が成立した17世紀初頭以降、実は満洲=東三省(奉天省・吉林省・黒竜江省)の地から、多くの満洲族(女真人)たちは南へ移住していました。その後清朝は中国人(漢族)がこの地に移住するのを禁じたので、いわばここは「カラッポ」状態になっていたワケです。
ところが19世紀以降、ロシアの南下政策の圧力が強くなると、家主のいない空き家状態の東三省は危険だ! と、この禁令は廃止され、どっと漢族が東三省へ流入してきました。つまり漢族にとっても、この満洲は「新開拓地」だった…。
となると(アメリカ西部開拓時代を考えれば分かりやすいけど)治安はほとんど行き届かない。開拓民は自分で自分たちの身を守るしかない! 要は馬賊は(少なくとも最初のうちは)無法者から自らを守る「自警団」みたいな存在として始まったのですね。

本編カット
馬賊は季節労働の「出稼ぎ」!?

「南船北馬」という言葉がありますが、華北から北の地域の高速移動は「馬」が常識。なので自警団組織も必然的に「騎馬軍団」になります。さらに組織の性格から、厳しい掟に従う義侠集団あるいは(あくまで官憲とは対立する組織なので)秘密結社的な性格を持つことになります。
まあ、後期にはかなり無法集団的な振る舞いもしたようだけど、少なくとも自分たちの支配領域では、いくばくかの「みかじめ料」を払えば、住民を保護してくれる存在でもありました。本編中で、大野千秋が手紙にしたためた内容通りです。
ちなみに馬賊のお仕事(?)環境は、相当ハードなもので…当たり前かもしれないけど…まずアジトに常駐するのではなく野っ原での流浪生活が基本。コーリャンが茂る春から秋にかけてが活動期で(官憲から身を隠すのにコーリャン畑は都合がいい)、秋が過ぎると解散して武器を隠し、故郷で農民生活に戻り、春には再結集。
なんか出稼ぎの季節労働者(古い!)みたいな生活サイクルですね。春から秋に荒稼ぎして、冬には身を潜めて故郷へ戻る…から出稼ぎとは逆か。もっとも冬季満洲の寒さを考えたら、とてもじゃないけど屋外での放浪生活なんて絶対無理! 凍死で一味全滅は必至ですから。

本編カット
青年よ、馬賊を目指せ!

「狭い日本にゃ住み飽いた(中略)支那にゃ四億の民が待つ♪」
と歌う民謡「馬賊の唄」が残されています。流行ったのは大正末期から昭和にかけての時期で(元は拓殖大学の寮歌だったそうですが)当時日本は第一次世界大戦の「成金景気」から一転して大不況の嵐。いっそ大陸に渡って一発当ててやろう! という風潮が若者の間で蔓延したのも頷けます(かね?)

「大陸浪人」という新造語も登場し(今だったら「流行語大賞」を取れるかな?)、歩兵銃と拳銃一丁を装備して、広大な大陸を駆け回る馬賊のイメージは当時、憧れの的だったとか。実際に大陸に渡って馬賊へ身を投じたツワモノも結構いたようです。百年近く前の日本には、まだ荒くれ武士というか、尊王攘夷・草莽の志士の気風が残ってたのだな…と感心してしまいます。
が、なにせ先ほどお話ししたように実際の馬賊稼業はカッコいいどころか、まさしく過酷そのもの。日本の豊かで穏やかな気候の中ぬくぬくと育ってきた日本男児に馬賊はとても務まらず、ほとんどの大陸浪人たちは一冬越して春にコーリャン畑が芽吹く前にシッポを巻いて帰国したとか。当然、かの地で命を落とした若者も多かったことでしょう。

ところが中には大陸へ渡って、本当に馬賊の棟梁にまで成り上がり現地で英雄となった日本人まで登場するのだから驚きです!
まずその始祖ともいうべき人物が「福島安正(ふくしまやすまさ)」。
実はこの方は「大陸浪人で一旗揚げよう」組ではなく、れっきとした帝国陸軍の軍人です。ちなみに最終階級は大将で男爵まで成り上がりました(大正8年=1919年没)。
じゃ、なんで大陸へ渡って馬賊になったかというと…実はすべて任務遂行のためだったりするワケです。経歴の詳細は省きますが、陸軍少佐時代にロシア単騎横断をはじめ、主に情報将校として対ロシア戦略やバルカン半島、さらにインドと情報収集活動を手広く遂行。日露戦争では満洲軍の総司令部参謀として、諜報活動経験を生かして活躍するのですが、この折に「遼西特別任務班」として満洲馬賊(満洲義軍)の総指揮を執り、戦っているのです。
まあ、福島安正の場合は馬賊の頭領といっても、いわば「軍人としての副業(?)」なのですが、彼のシベリア横断をはじめとする冒険譚に刺激を受け、大陸へ渡って馬賊へ身を投じ、本物の「馬賊の総頭目」に上り詰めた人物が現れます。
それが「小日向白朗(こひなたはくろう)」という人物で…現代では忘れかけられていますが…最初は福島安正にあやかり、十代の終わり頃モンゴルのウランバートルを目指して単独踏破を試みるのですが途中で馬賊に捕らえられ、命と引き換えに馬賊の下働きとなります。

「モンゴル徒歩旅行なんて、まるでバックパッカーのレベルだね」などと軽く考えるのは大間違い。当時の外モンゴル(蒙古)は、朝鮮半島を経て熱河省経由で入るにも、ほぼ当時の日本人の感覚でいえば完全な秘境。まあ、そんな酔狂な日本人が滅多にいるはずもないから、あっというまに馬賊に捕まったのだろうけど…。
ところが、ここから小日向(中国名で尚旭東)はめきめき馬賊としての頭角を現し始め(ここからの活躍は略)最終的には中国武術の大老師から破魔の拳銃「小白竜」を受け取り、馬賊の総頭目に祀り上げられることになります。ちなみにこの拳銃の名前「小白竜」の名で、彼は民衆の間で馬賊の英雄に祀り上げられるワケです。
手下は1万人。活躍の場である大興安嶺(中国東北部を南北に走る山脈)一帯に、その名は轟いた…というのは彼の史伝『馬賊戦記』の記述ですが。
まあ、かなり「盛った」話かもしれないけど、彼の場合は戦後の(特に中国では国共内戦などの)動乱の時代を生き抜いて帰国し、戦後史の黒幕的な役割も果たしたともいわれていますから、やはり現代に忘れ去るべきではない人物なのでしょうね(没年は昭和57年=1982年)。
ちなみにこの小日向白朗をモデルにしたコミック『狼の星座』が、かの『三国志』でおなじみの横山光輝氏によって描かれています(ここでは主人公は「小東洋」の名で登場するのですが)。

大陸を跳梁跋扈した盗賊集団か、いや民衆を守る義侠集団か自警団か、あるいは動乱の中国大陸に登場した、うたかたの軍事政権か…いろいろな表情を見せてくれた「馬賊」ですが、結局ロシアも日本(関東軍)も、ある時は彼らと協力し、利用し、そして満洲国成立と同時に使い捨て…文字通り時代に波に翻弄されました。最終的には中国共産党によって大陸が統一されたあとは、(一部は中国国民党に流れ)人民解放軍の各軍区など、それぞれの陣営に分かれながら消滅していきます。それは中国大陸を舞台にした一大ロマンの時代の終焉、でもありました。

さて次回はお話の舞台を日本に戻し(本編にも少し登場しますが)、大野千秋が医業を志した明治初期、維新の大動乱で新生日本社会がひっくり返って得をした人々、ワリを食った人々…のお話をしましょう。

→次回
【明治維新「勝ち組」VS「負け組」】に続く
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