巧の部屋 ながやす巧の漫画術

第13回
壬生への長い道 時間の長い壁

1999年、浅田次郎先生原作『ラブ・レター』『鉄道員(ぽっぽや)』の漫画化が大好評を博し、いよいよ第3弾候補として長編小説『壬生義士伝』を手に取ったながやす先生。思わぬ障害に一時はあきらめかけたものの、読み進めるうちにどんどん『壬生義士伝』の世界に引き込まれ、ついに漫画化を決意しました。今回は、そんな裏話の続きです。

「絶対にこれを描きたい!」
ながやす先生の決意に、原作を読んだ講談社の担当さん、編集長も異存はなく、編集部内で『壬生義士伝』連載企画はあっさりと決定!
原作者の浅田次郎先生も、文芸担当の編集さんから連絡を受けて大喜びして下さったとか(普段なら用件が終わるとすぐ電話を切ってしまう浅田先生が、この『壬生義士伝』漫画化の話題で担当さんと30分も話し込んでしまった、というエピソードもあります)。
と、いうわけで『壬生義士伝』漫画化プロジェクトは、順風満帆のスタートを…切ったはずなのでしたが…そう簡単に物事が運ばないのが、この世の常ですね。

実は最初にながやす先生が『壬生義士伝』を読み始めたとき、障害になった問題が2つありました。ひとつは(前回にもお話しましたけど)ながやす先生が、時代劇の知識に疎かったこと。読み進むうちに物語の舞台が大正時代にまで移ると、ついにハードルの高さに絶望して、一度は漫画化を断念しかけたことでした。
そしてもうひとつは、まさにこの「幕末と大正、二つの時代をジャンプしながら進んでいく」物語の構成そのものでした。

本編カット

ちょっとお話は先に飛んでしまうのですけど、のちにコンテ作業に取りかかった時点でも、ながやす先生が頭を痛めたのが、このふたつめの問題点でした。
原作小説では、物語の舞台が幕末・大坂の南部藩邸から…つまり吉村貫一郎が切腹を命じられるシーンから、いきなり大正時代の東京神田へ(吉村の足跡を探し求める新聞記者が、居酒屋「角屋」を訪ねて親父と会話し、回想シーンへ入るところ)に飛んだあたりで、ながやす先生は頭が混乱してしまったのです。
「異なる時代を行ったり来たりする話の流れを、どう見せたらいいんだろう?」
と、ここで再び壁に突き当たることとなります。

「あれと同じよ」
そんな悩める(?)ながやす先生の転機となったのが、奥様のアドバイスでした。
奥様が例に出したのが1978年に「週刊朝日」で連載された、有吉佐和子の小説『悪女について』。
その同じ年に、影万里江さん主演でテレビドラマ化された作品で(2012年にも沢尻エリカさん主演で再びテレビドラマ化されました) この作品でも、主人公の女実業家・富小路公子は劇中では既に亡くなっていて、彼女の生前の実像とカットバック形式で、多くの人たちのインタビューによって回想しつつ探って行く、という形で進行していました。
ながやす先生は、はるか昔の記憶をたぐり寄せながら頷きました。
「そうか、あれと同じスタイルなんだね」
奥様の指摘に納得したながやす先生はこうして、もう一つの壁を乗り越えたのでした。
…今になって漫画版『壬生義士伝』を読んでいる私たちには不思議に感じてしまうのですが(だって実際の漫画では、この「二つの異なる時代」が余りにも自然に繋がって描かれているから)、作る側はここまで悩んでいるんだ、という好例です。
実際、不自然なはずの物語の流れが、何ともないように読者に受け入れられてしまう、というのが「匠の」、いや「巧の技」なのかもしれませんね。

さてお話を『壬生義士伝』連載企画開始の時点に戻します。
お話した通り、ながやす先生は時代劇や歴史の知識に疎く、連載準備となると、膨大な資料集めを開始する必要がありました。幕末の世界や大正期の風俗に至るまで…それこそ吉村貫一郎が過ごした南部藩から新選組の屯所があった壬生や京都、大坂の背景資料。そして当時の服飾から武士の所作、剣術の殺陣から何から、あらゆる情報が必要となります。

まず、ながやす先生が始めたのは原作小説をじっくり読み込みながら、必要になる資料を書き出し、リストを作成する作業でした。以前にもお話しましたが「読み込む」ために先生がとった手段が「写経」。つまり、原作小説をそっくりそのまま書き写すこと…そしてそれが終わると、それぞれのシーンで必要となる資料を書き出したのです。
さらにこのリストを担当編集者さんに渡し、取材の日程を立てたり、あらかじめ手に入る資料を集めてもらい、コピーし、リストを埋めていく…実はこの下作業だけで、1年以上を要したのでした!
先生ご自身もリストを手に、大きな書店を巡って参考になりそうな本を探し、古い写真やビデオやグッズなどを手に入れるため、方々に足を運びました。

実は、ながやす先生はその昔…浅田先生が『壬生義士伝』を執筆を始められたころの話ですが…京都を取材した際のルポルタージュ番組を、偶然にテレビで見たことがあったとか。
浅田先生がインタビューアーの女性と共に京都伏見の奉行所を訪ね歩くシーンなどを見ながら「時代小説を書くのは大変なんだね」などと、そのときは他人事のように(実際、その時点では他人事でしたから!)奥様と語らっていたそうです。
まさかご自身が、それと同じ立場に立つことになる、なんて想像してませんでしたから!

次回
【壬生への長い道 さらに遠い道】に続く
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