巧の部屋 ながやす巧の漫画術

第16回
斎藤一への序曲〜斎藤は「持ってる!」

前回から趣向を変えてお話する、ながやす先生(と、原作者の浅田先生)の、斎藤一にまつわるエピソード。今回で佳境です

前回は、『壬生義士伝』の漫画化をながやす先生に快諾した折に、実は密かに原作者の浅田次郎先生が、一番期待していたのが「吉村貫一郎が、斎藤一と初めて対面する」名シーン──緊迫の「あの」瞬間が、いかに描かれるか!? だったことをお話しました。
どんな結末になったかは、既に読者のみなさんが目にされた通りです。まだ読んでおられない方は、ぜひ単行本(特に第8巻の109ページから先!)をご覧ください。

本編カット

では、ながやす先生の方は、斎藤一についてどんな想いだったの? というと実は、先生にも本編の主人公である吉村貫一郎とは「真逆の」並々ならぬ思い入れがあったのだ、というのです。
要するに「漫画の登場人物として、一番出来上がっている」キャラクターが、ながやす先生にとっては斎藤一、そしてその逆に、描きづらいのが吉村貫一郎、ということなんだそうです。え? なんで?
主人公なのに、なぜ吉村貫一郎が描きづらいのかというと、つまり吉村がそれだけ「多面的な」人物だから。あるときは純朴で屈託なく、それでいて金銭が絡むといきなりがめつくなり、そしてひとたび剣を抜けば、眼は三白眼になって、鬼の形相へと変わる…吉村貫一郎の場合は、そんな心の機微を丁寧に表現しなければなりません。
そんな一面は、自分自身とも重なるところがあって身につまされるときもある、とおっしゃるながやす先生も、こんな複雑な表情を持つ人物をどう描き分ければいいのか、非常に苦労されていたようです。その点、斎藤一の場合はご自身とは全く逆の人物なだけに、ある意味「男として」とても憧れるのだとか。
確かに一種、ピカレスクロマンの主人公のようなゾクゾクする暗黒面の魅力を端的に備えて「一本、芯の通った」キャラクターとして登場する斎藤一は、まさに吉村貫一郎とは対極にいる人物。ながやす先生の思い入れの丈も、なるほど頷けますね。

ちなみに以前、このコラムでも紹介しましたが「ながやす流漫画術」では、それぞれの章で先生は、まず最初に主要人物を、各キャラクターごとに全ページ通して一気に描き込みます。
そのせいかどうか、第四章では斎藤一のキャラクターに引っ張られて、主人公のはずの吉村貫一郎の顔が、微妙にズレているような…という印象を述べておられました(これは先生の執筆ぶりを、間近で御覧になっていた方の感想ですから、客観的評価ではありません! 読者の皆さんはご自身の目でお確かめ下さいね)。

また、これも裏話ですけど、ちょうど斎藤一をペン入れしている最中に(しかもこれがまた、真夏の盛りに!)仕事場のエアコンが壊れる、という事件があったそうです。おかげで仕事場はサウナ状態。汗を原稿用紙が吸って、人物の線が微妙に太くなった…という困った事態が起きてしまったとか。
エアコン修理が終わり、サウナから解放された後も、いったん太くなった人物の線をいきなり元に戻すわけにもいかないので、微妙に太さを調整したまま、描き切ったそうですが、逆にキャラが濃くなったことが、アクションシーンの連続となる第四章のテイストにマッチして、いい効果をもたらしたのだとか。
こういうのもわが国のことわざで「怪我の功名」というのでしょうか?

最後に「斎藤一編」でもうひとつ、注目して頂きたいシーンがあります。 斎藤一は生まれてこの方、決して涙を流したことがない人物ですが、一か所だけボロボロ涙を流す場面があります。さて彼は何を想い、何に涙したのか…?
あえてどんなシーン、とは申しません。これも単行本を読まれて、ご自身の目でお確かめ下さいね。

というわけで、本コラム「ながやす巧の漫画術」も、これにてお開き。
どうぞ『壬生義士伝』今後の展開に、ぜひご期待下さい!

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