壬生義士伝異聞

昨年1月、『壬生義士伝』は第四章「斎藤一編」完結! しかし実は、本サイトで引き続き第五章「大野千秋編」へと、このまま一気に連載再開できない事情があるのです。
以前に本サイトのコラム「ながやす流漫画術」でもお伝えしましたが、『壬生義士伝』をはじめ、ながやす巧先生の手により生み出される迫真の画稿の数々は、先生独自の漫画術で生み出され、アシスタントを使わない執筆手法により、いささか時間を頂く必要があります。
現在の執筆状況や今後のサイトアップ予定等の情報も本サイトで随時お伝えしますが、ついでにちょっと幕間を利用して『壬生義士伝』の世界にまつわる、少し変わった史実伝聞、不思議なエピソード(!?)などなど、お伝えすることにしましょう。
これをチェックすれば『壬生義士伝』は10倍面白くなる! かどうかは、保証できませんけど…。

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第14回
『銘』にまつわるエトセトラ

前回のお題・沖田総司君といえば「新選組随一の剣士」の呼び声も高く、使った刀といえば「菊一文字則宗」が超有名!(いや「菊一文字」ではなく「大和守安定」だった、違う「加州清光」だ、などと諸説もありますが)
…ここで新選組随一の剣士と言い切ってしまうと、じゃあ本編『壬生義士伝』の主人公・吉村貫一郎の立場はどうなるんだ? という異論も出るでしょうし、そもそも新選組最強剣士の称号をめぐっては、現代でも大論争が続いてるくらいだから深く突っ込むのは避けるとしても、名だたる刀剣の中でもピカイチクラスの名刀を持ってた隊士たちが、新選組にはゴロゴロいた(と、後世で言われてる)のは事実です。近藤勇局長の「虎徹(長曽祢虎徹)」とか土方歳三の「和泉守兼定」なんて、モロに最上大業物十四工クラスの名刀なのですよ!
けど、そんな一振り百両は優に下らない名刀、大名クラスじゃないとまず持てないような銘刀を、どうして(元)一介の浪士風情が堂々持って、しかも実際に人斬りに使用してたんだ? と突っ込まれると困りますね。吉村貫一郎なんて、数打ち(量産品)の安刀を、それこそ痩せるまで何度も磨ぎ直して使ってたってのに。…まあ、このあたりは伝説の伝説たるゆえん、というヤツで、あまり深くツッコむのは野暮というものでしょう。

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そもそもの元凶は太閤殿下!

ともあれ時代も下って21世紀。刀剣もなぜか美少年イケメンに化けてしまうご時世らしいのですが、そもそもわが国ではいつ頃から、刀にネーミングが入るようになったんでしょう? つか、刀がここまで持て囃されるようになったのか? いやそもそも「銘」とか「業物」って何なのか…?
まず『壬生義士伝』でも登場する「大和守安定」とか、有名どころでは「関の孫六(孫六兼元)などと呼ばれる銘ですけど、皆さんお分かりの通りこれって要するに、刀匠の人名なんですよね。だからたとえば「刀匠の安定さんが鍛えた刀」ってのは、世間にたくさん出回ってるわけです。これはけっこう我が国独特の風習らしく、世界の名剣と呼ばれるもので「製作者の人名を冠した」ってのは、ほとんど聞きませんね。たとえばアーサー王伝説でおなじみの聖剣の「エクスカリバー」ってのは(諸説あるけど)ヘブライ語の「木を斬る鋼」が語源らしいし。

さて、この「製作者(刀匠)の名前を記した銘刀」が持て囃され始めたのは、やはり刀剣を多用した戦国時代、さらに「折紙(鑑定書)付きで銘刀を高値で取引きし始めた」のは、どうやら太閤豊臣秀吉が最初らしいのです。
日本史でもおなじみ「刀狩り」で日本国中からカタナを取り上げたのも、実は彼が無類の刀剣コレクターだったから…と書いてしまうと大ウソですけど、刀剣収集家だったのは本当で、古今東西、様々な地域の名刀を集め、中でも「正宗」「義弘」「吉光」が打った刀剣を「天下三作」とも呼んでいたとか。
で、この秀吉が盛り上げた「刀剣バブル」には、もう一つの目的もあったらしいのです。

よく「人たらし」とも呼ばれた豊臣秀吉ですが、なにせ超成り上がりの哀しさ(?)か、部下への大盤振る舞いもハンパじゃなかった! 俗に言う「金賦り(かねくばり)」では諸大名三百人余に、惜しげもなく天正大判を配りまくったほどですから。ちなみに現在の価値では、大判1枚で百万円を超えるそうです。
となると、原資はいくらあっても足りゃしない! モノには限度がある。日本全国は平定しちまったから新しく恩賞で与える土地も尽きた…何か代わりのモノはないの?
…というワケで目を付けたのが「折り紙つきの銘刀」ですね。太閤殿下直々の鑑定書をつけた銘刀の脇差なんかを、恩賞として与える。これで巷には「刀剣バブル」が巻き起こった、という事情です。
ちなみに彼の師匠(?)織田信長の場合、これを「茶器」でやったので、堺あたりを中心に全国で数寄の大ブームが巻き起こったとか。太閤秀吉の場合は茶頭・千利休宗匠あたりに茶器の利権を握られてしまったので、同じ手は使いづらかったのでしょうか?

本編カット
浪人・山田さんがランク付けした「ワザモノ」!

さてもう一つの疑問は、そもそも「大業物・業物・良業物」なんて銘のランキングはどこから来たのか? ってことです。
こちらは明快で、文化12年(1815年)に、幕府から公式に出版された『懐宝剣尺』という本がそもそもの原典です。最上大業物14工、大業物20工、良業物50工、業物80工、…などなど計229工が掲載され、格付けされています。要するに刀剣版ミシュランガイドですね。のちにいくつか改訂版も出てますが。
で、これを格付けしたのが幕府の試斬者・山田浅右衛門(五代目)という方。数多くの刀を試し斬りした、まさしく「刀剣のプロフェッショナル」です。
と、ここでちょっと疑問が湧いてきます。そもそも数多くの刀を「ナニで」試し斬りしたんでしょうね? この方は。
正解は「生身の人間を斬って(正確には、首をはねて)試した」です。時代劇ファンならご存知の方も多いと思いますが…少々生臭い話なのですが…この山田浅右衛門というのは個人名ではなく世襲の役職で、代々公儀の「処刑人」つまり首切り役人を勤めていた方々なのです。しかも正式な幕府の旗本・御家人ではなく、身分的には一介の浪人。要は「試し斬りや処刑などの諸事があった場合」あくまでパートタイムとして雇われ、仕事をするという立ち位置だったワケです。なのに「世襲」。
まあ、このあたりは「死穢に伴う仕事は幕臣にやらせない」伝統があったなどなど、諸事情があったともいわれますが、まあ詳細にツッコむのは控えましょう。
いずれにせよ刀剣を鑑定するなら、やっぱし「人を斬ってみないと判らない」!
ちょっと考えれば当然の真理です。少なくともその剣がイケメンかどうかでランクづけするモノではない…ことだけは確かですね。

さて次回はちょっと時代を後ろにずらして、吉村貫一郎の息子・嘉一郎や土方歳三が最期に活躍した現場・函館五稜郭の舞台裏をちょっと取り上げてみましょう。

→次回
「無敵要塞、あっという間に陥落!」に続く
イラストカット
2020.5
『壬生義士伝』執筆状況

「大野千秋編」
現在鋭意作業中
掲載予定は本年!
(予定)

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